三大秘法抄に関して

先日Twitterにて法華講員さんと現役顕正会員さんのやり取りの中で、

「御遺命の戒壇は、誰でも分かる様に、大田金吾殿に託されたのです。」

「戒壇の具体的内容が示されているのは、三大秘法抄のみである事を覚えておくと良いです。」

との発言を拝見しました。これはこれで間違いではないんですが、この三大秘法抄の本来の意義というものをキッチリと認識した上でないと、三大秘法抄の御文をもって御法主上人に異議を唱えるという本末転倒の痴態を演じることになるのです。(浅井さんが当にそうですよね。)

これを謗法と言わずして何を謗法と言うのだろうか…。

というわけで今回は三大秘法抄はどういった役割だったのかを改めて考えていきたいと思います。

三大秘法抄とは御相伝の助証

しかるに、弘安二(一二七九)年に至り、今、我が山に安置し奉るところの本門戒壇の大本尊を顕し給い、密かに我が開山日興上人に対し、この本門戒壇の御相伝ありしなり。されども、ただ内証の口決にして、なおいまだ他に対して明言し給わず。しかるに、助証なくんば遺弟ら、僻見の基たるべしとて、ようやく弘安五年四月八日に至りて太田禅門に対し、つぶさに戒壇の形貌を示して、

「戒壇とは、王法仏法に冥じ(中略)大梵天王・帝釈等も来下して踏み給ふべき戒壇なり」(三大秘法抄・同一五九五ページ)

と、初めてこれを明言し給いしなり。

しかれども、その結文に、

「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する間貴辺に対し書き遺し候。一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮無し」(同ページ)

と、これを厳誠し給えば、宗祖の在世においては実に我が興尊および太田氏のほかは、本門戒壇とはその形の何たるを知る者は至って稀なるべきなり。

(弁惑観心抄 第6版 324~325)

これは第56世日応上人の弁惑観心抄の一節ですが、ここに三大秘法抄の位置づけというものがハッキリと示されているわけでございます。

「助証」という言葉でそれは表現されているわけですが、現代においては馴染みのない言葉ですのでネットで検索してはみたのですが明確な答えは見つからない…。

まぁ、我々は日本人ですから漢字の意味をもってその意とするところを予測することは出来るわけで、そこから考えるならば、「証明し、助ける」といった意味合いなんでしょう…、たぶん…。

でもってその物差しから考えるならば、「日興上人(ならびに後代の御法主上人)が後々に御遺命の戒壇について御指南遊ばされたとき、その御法門はたしかに大聖人様が代々の御法主に託されたものである。という証明をするための役割。」と捉えるべきでありましょう。

「御遺命の戒壇」という御法門が存在するのである。ということを周囲に知らしめるための三大秘法抄。

これを我々はまず認識すべきであろうかと思います。

三大秘法抄が無かったらどうなる?

仮にこの三大秘法抄が存在しなかったらどうなっていたでしょうか?

戒壇の大御本尊様の存在もその深い意義も基本的には日興上人ただお一人に大聖人様はお伝えしていたわけですから、上記の日応上人のお言葉から考えれば後世においてその存在や意義を御指南し始めた途端に「己義だ!」との批判が宗内に渦巻き教団は分裂してしまうことでしょう。

そのような事態を回避するために大聖人様はそれらの概要を三大秘法抄として認めて太田殿に預けられたのではないでしょうか。

しかしながら、これはあくまでも日興上人ならびに歴代の御法主上人の教導を助けるためのものであり、それ以外の御僧侶や檀那衆がこの書をもって戒壇の意義を自慢げに述べてみたり、ましてやそれをもって御法主上人を攻撃するなど本末転倒の行為を大聖人様は想定されていないのではないでしょうか?

こういった基本的なことを顕正会員さんたちはまず初めに認識しなければならないと私は思います。

日興上人への相伝

大聖人様は御入滅に先立って御法門の全てを日興上人にお伝えされました。

南無妙法蓮華経、南無霊山浄土久遠実成多宝塔中大牟尼世尊、上行菩薩、日蓮日興に之を授与す。

右此の血脈は本迹勝劣其の数一百六箇之を注す。数量に就いて表事有り。之を覚知すべし。釈迦諸仏の出世の本懐、真実真実唯為一大事の秘密なり。然る間万年救護の為に之を記し留む。

就中六人の遣弟を定むる表事は、先々に沙汰するが如し 云云 。但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。

又五人並びに已下の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国までも之を流布せしむと雖も、日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。所以は何、在世・滅後殊なりと雖も付嘱の儀式之同じ。譬へば四大六万の直弟の本眷属有りと雖も、上行薩を以て結要付嘱の大導師と定むるが如し。今以て是くの如し。

六人以下数輩の弟子有りと雖も、日興を以て結要付嘱の大将と定むる者なり。

又弘長配流の日も、文永流罪の時も、其の外諸所の大難の折節も、先陣をかけ、日蓮に影の形に随ふが如くせしなり。誰か之を疑はんや。

又延山地頭発心の根元は日興が教化の力用なり。遁世の事、甲斐国三牧は日興懇志の故なり。

(平成新編御書 1702)

聖人山居の後門弟子の請いにより法華経の御講釈あり。御弟子衆数多ありといえども日興達士の撰にあたり給いしかば、章安所録の天台の章疏に習つて聖人の説法を記録し給う事合して二百二十九箇条、其の外度度の聞を集めて日興記と名づく。是れ聖人編集の註法華経に就いての口伝なり 御筆今重須に在るなり 。又弘安二年に三大秘法口決を記録せり。此の年に大曼荼羅を日興に授与し給う、万年救護の本尊と云うは是れなり。日興より又日目に付嘱して今房州に在るなり(此の頃西山に移しうる故今は西山に在る也)。同三年に一百六箇血脈抄を以って日興に授与し給う、剰え此の書の相伝整束して日興に伝う。亦本尊の大事口伝あり、是れを本尊七箇口決と申すなり、是の故に師に代わりて本尊を書写し給う事亦多し 日興書写の本尊に大聖人御判を加え給えるあり奥州仙台仏眼寺霊宝是れ其の証なり 。同四年には聖人園城寺の申状を書いて日興に給う。日興、師の御代官として奏聞の使節を勤めたまえり、是れ当家天奏の最初なり。其の後日目等相続して奏聞す。同五年二月日興に御書一通下さる大聖の御筆なり、死活鈔と号す、今西山に在るなり。同五年夏首題に付いて奥義口伝等日興に伝授す。同九月に付嘱の状一通を日興に賜う。其の文に曰わく、

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之れを付嘱す、本門弘通の大導師為る可きなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらる可きなり、時を待つ可きのみ、事の戒法と謂うは是れなり、就中我が門弟等此の状を守る可きなり。

弘安五年 壬午 九月 日                  日  蓮 判

血脈次第日蓮日興                            已上全文

同八日の午の刻に身延の沢を御出ありて、十八日午の午の刻に武州池上兵衛志宗長が家に着き給う、鎌倉の信者ども参り集まる、種種の御法門あり。又安国論に疑難を加うる者あり、茲に因つて安国論の御講釈あり、日興亦安国論大意問答一巻を記録し給う 御自筆当山に在り。同十月八日に本弟子六人を定め置かるるに日興其の撰にあたり給えり。此の日産湯相承を記録す。同十日には本尊七箇の決並びに教化弘教七箇の決を記し給う。十一日に本因妙抄を日興に付与し給う。其の文に曰わく、又日文字の口伝産湯口決の二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇口伝は七面決を表す、教化弘教七箇伝は弘通する者の大要なり。又此の血脈並びに本尊大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり、相構え相構えて、秘す可し、伝う可し 云云 。誠に日興は多聞の士、自然に仏法の深義を解了せる故に、仏法の大海水興師の心中に流入するにより、斯くの如き甚深の血脈を禀承し給う、同十三日の暁重ねて付嘱の遺状を賜う。其の文に曰わく、

釈尊五十年の説法白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為る可きなり、在家出家共に背く輩は非法の衆為る可きなり。
武州池上

弘安五年 壬午 十月十三日

日  蓮  在  已上全文

其の後御説法あり、聴聞の真俗悲嘆せり、亦御遺言あり 同十六日之れを記録して御遷化記録と号す執筆日興四人裏判有り 。大曼荼羅に向って臨終の御経異口同音に誦し御入滅なり、弟子檀那の悲涙袖に余り遠近の檀越を待ち揃えて最後の御供養をささげ、十四日の戌の時に御入棺、子の時に御葬なり、具さに御遷化記録の如し。

(日蓮正宗聖典 613~615 )

このように大聖人様は御入滅に先立ち日興上人へ法の悉くを御相承遊ばされました。三大秘法はこの仏法の柱でありますから当然のことながら三大秘法抄にお述べになっている以上に詳細な法義を日興上人へお伝えされていたことは想像にかたくありません。そしてその御法門は日興上人より日目上人、そして代々の御法主上人へと受け継がれて今日に至るわけです。

ここまでお話しすれば、いくら頑迷でワカランチンの顕正会員さんでも理解は出来ますでしょう?

幸いなるかな我々は三大秘法も御遺命の戒壇もその存在を知り得ることができました。しかしながらそれらは大聖人様の法義の全てを網羅しているわけではありません。「日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。」「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」とのお言葉でも理解できるように大聖人の御意を全て引き継いだのは日興上人であり、更に代々の御法主上人なわけです。その御法主上人猊下の御指南を根本に拝したうえで三大秘法抄の御文を学んでいかなければ、それは自分勝手な解釈…、大聖人様の御心に叶わぬ三大秘法義と相成ってしまうわけです。

ましてやその自分勝手な解釈をもって御法主上人の御指南に異議を唱えるということは、「在家出家共に背く輩は非法の衆為る可きなり。」との大聖人様のお叱りを受けることになってしまいます。この点を顕正会員の皆さんは今一度お考えにならなくてはなりません。

冒頭のTwitterでの発言、

「御遺命の戒壇は、誰でも分かる様に、大田金吾殿に託されたのです。」「戒壇の具体的内容が示されているのは、三大秘法抄のみである事を覚えておくと良いです。」

これらは大聖人様の遺された「法を学ぶ上での筋目」を全く理解していない発言だと改めて指摘しておきたいと思います。

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