日寛上人 戒壇の「事」「義」 2

前回は「事」と「義」は比較相対の言葉であることを説明した。今回は日寛上人が御指南の中で使用される「事」と「義」に関して考えてみたい。

「事」「義」は事相以外にも使用

前回の記事でも触れたが顕正会員さんは「事」との言葉を、 事とは事相(事実の姿) のみであると捉えているふしがある…。しかしながら御隠尊猊下のお言葉や破門前の浅井さんの文章にも見られるように、「事」「義」は比較相対の表現なのであり、「事相に約して」といった物差しのみに使用されるわけではない。

最勝の地を論ずるに有り、有り。謂わく、富山の最勝は即ち事に約するなり、延山の最勝は是れ義に約するなり。

文底秘沈抄 六巻抄 64ページ)

これは文底秘沈抄の御指南であるが、日寛上人は戒壇建立の地を論ずるにあたり戒壇の大御本尊様所住の地たる富士山(大石寺)を事とし、御在世当時に大聖人様がおわした身延山を義としている。

これは御在世当時には大聖人様が身延の地におられたがゆえ「法妙なるが故に即ち処尊し」を大前提として、「法身の四処に塔が起(た)てられることを根拠とし、その建立の地は身延である。」とする主張に対して、「それは大聖人様御存生の間は法身の四処の意義は大聖人様の御当体に具わるが、御入滅後は御法魂としてとどめられた大御本尊様所住の処に法身の四処の意義が具わる。」ゆえに戒壇建立の地は富士山(大石寺)であるとするのがこの部分の意味である。

これは「事相」が物差しになっているであろうか?「法体の行方」がここにおける両者を立て分ける物差しになっているのではあるまいか。 このように「 事とは事相(事実の姿) 」のみに固定化して考えてしまうと説明がつかなくなってしまう御指南は数多く存在するのである。

「義理」「道理」は一貫不変

ここで気づかれた方も多いかとは思うが、比較相対する上での物差しによって「事」の対象は変わってくるわけであるが、「義」もしくは「理」と称される対象は「道理(意義)の上からは事にあたる。」という位置づけは全く変化が無い。たとえ比較相対の物差しがいかように変わろうとも、「義理が事に通じる。」という立場には一切変化が無いのである。

さればそこからスタートして考えていけば全てが矛盾なく収まるのである。

浅井さんの戒壇論が最終的に矛盾を生じてワケが分からんようになってしまうのは「事相の戒壇」から考えをスタートして開いていってしまうからである。

つまり前回の記事において書いた「2. 日寛上人は「義」との表現を多用されるが、その「義」とは何を比較の物差しとした「義」であるかをその都度明らかにすること。 」これを具体的な作業に移すことにより、いとも簡単に「事」と「義」の指し示す対象が明らかとなり、日寛上人の御意もまたそこに正しく現れてくるのである。

日寛上人が戒壇に用いる二つの「義」

日寛上人が戒壇を論じる際には大きく分けて二つの「義」を使用される。(厳密には三つ。)一つ目は「題目修行の処、本尊所住の処は義理において戒壇」とする「義」である。二つ目は「嫡々書写の本尊安置の処は道理(義理)の戒壇」とする「義」である。

前者は文底秘沈抄(ここでは「本尊所住の処」が義とされる。)ならびに法華取要抄文段における表向きの立て分けがこれにあたる。一方後者は報恩抄文段の立て分けにおいて表とされている。ここで私が「表向き」といった理由は法華取要抄文段には文中に後者の立て分けを挿入され、報恩抄文段においては前者の立て分けもまた文中に挿入されているがゆえである。

顕正会の皆さんは気づいていないかもしれないが日寛上人は法華取要抄文段にも報恩抄文段にも「事相に約しての義」と「法体に約しての義」を併記しておられるのである。

「法体に約しての立て分け」は日達上人の己義であるとするのが顕正会員さんの主張するところではあるが、それは勘違いであるということを改めて申し上げ本日は終了としたい。

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