日寛上人 戒壇の「事」「義」 4(文底秘沈抄)

それではいよいよ本題に入りたいと思う。彼らが提示してきた順序とは逆になってしまうが先ずは文底秘沈抄から検証してみたい。

先方が主張している文底秘沈抄の捉え方は以下になる。

一つ一つ反論を加えていくが、先ずは文底秘沈抄の当該部分を確認してみよう。

文底秘沈抄冒頭部分

第二 本門戒壇篇

 夫れ本門の戒壇に事有り、義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり。例せば文句の第十に「仏其の中に住す即ち是れ塔の義なり」と釈するが如し云云正しく事の戒壇とは一閻浮提の人の懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天・帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり。秘法抄に云わく「王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣并びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり」云云。宗祖の云わく「此の砌に臨まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜんのみ」云云

(六巻抄 61 顕正会版 61~62)

これが文底秘沈抄における戒壇の立て分けである。彼らはここのみを読んで上記のような発言をしているのだろう…。基本的に彼らの言っていることは間違いではない。ただし文字面を追っていっただけの表面上の解釈であるとだけ今は言っておこう。それでは一つずつ検証していきたい。

ここでの比較対象は?

私が前回までに提示した戒壇の立て分けを正確に判断するための公式に当てはめて考えたい。まずはこの文章における比較する2者とは一体何なのか?

これは説明するまでもなく「本門の本尊」のみに焦点を当てて、広宣流布以前と広宣流布後が比較する対象になっているのである。よって嫡々書写の御本尊安置の処は比較する対象ではない。いわゆる法体に約しての立て分けはここには一切説かれていないのである。

このように戒壇の大御本尊様の住所のみを取り上げて「事相」という物差しで広宣流布前と広宣流布後を比較し、「事」「義」を立て分けるならば当然のことながら広宣流布以前の戒壇の大御本尊様の住所は「義の戒壇」となる。ここでの「義理」とは前回説明した神力品の「 所以者何。當知是処。即是道場。 」を根拠とした「本尊所住の処は、義理は戒壇にあたる。」ということである。

つまり冒頭において確認した彼らの文底秘沈抄の解釈には何ら問題は無いということである。逆に私は彼らに質問したい「で、何が問題なんですか?」と…。

何が問題なんですか?

このように質問するとおそらく「いつでもどこでも事の戒壇では無いではないか。」と言ってくるのであろう…。しかしながらこれこそが彼らは何も分かっていないということなのである。日達上人が仰せになったのは「戒壇の大御本尊様の御在所と嫡々書写の御本尊の御在所を比較した際の事・義」である。この「法体に約して」の立て分けになれば「戒壇の大御本尊様の御在所はいつでもどこでも事の戒壇」になるのである。

ここまで説明すればサルでも理解できるだろう。此の冒頭部分は嫡々書写の御本尊の所在自体を論点に入れていないのであるから、この御文をもって日達上人の御指南を批判することもまた的外れな攻撃なのである。

文底秘沈抄における法体に約した立て分け

Twitterにおいて彼は「文底秘沈抄には事の戒壇として三大秘法抄の文を挙げるのみで具体的な説明も無い。法体に約しての立て分けなど存在しない。」(趣意)という主張をされているが果たしてそうであろうか?

ハッキリ言って勉強不足であると言っておこう。

日寛上人の御指南においては、戒壇の「事」「義」を論ずる際には「事相に約した立て分け」と「法体に約した立て分け」を併行して論じるという特徴がある。次回以降に触れる「法華取要抄文段」もそうであるが「報恩抄文段」もしかりである。

「さすがにこの文底秘沈抄はそうじゃないでしょ!」と反発するかもしれないが、それは直接「事の戒壇」「義の戒壇」と述べられた上記の文底秘沈抄本門の戒壇篇冒頭部分のみに目を奪われて全体観を見ていない痴れ者と言わざるを得ない。私が冒頭で「 文字面を追っていっただけの表面上の解釈である 。」と切り捨てたのはまさにここに理由があるのだ。

戒壇建立の地を論ずる

日寛上人は冒頭部分の「事相に約した事・義」を論じた後に引き続き「 問う、霊山浄土に似たらん最勝の地とは何処を指すとせんや。」として戒壇建立の地についてあらゆる角度から検証している。

これはアプローチの仕方は様々ではあるが結局のところは「法体」に関して論じているのである。

 問う、癡山日饒が記に云わく「富士山に於て戒壇を建立すべしとは是れ所表に約する一往の意なり。謂わく、当に大山に於て大法を説くべき故なり、例せば仏十二の大城の最大王舎城霊山に於て法華経を説けるが如し、即ち是れ大法を説くことを表わす所以なり、再往所縁に約する則んば本門流布の地皆是れ富士山本門寺の戒壇なり。故に百六箇に云わく、何の在処たりとも多宝富士山本門寺と号すべきなり云云。経に云わく、当知是処即是道場とは是れなり、何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し本山と為さんや」略抄、此の義如何。

(六巻抄 66~67 顕正会版 67) 

上記は本門流布の地においてはどこであっても本門戒壇を建立することができるという邪義である。これに対して日寛上人は

「経に云わく、即是道場とは是れなり」といわば、彼の経文を引くと雖も経文の意を知らず、今略して之れを引いて其の意を示すべし。経に云わく「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても是の中皆応に塔を起てて供養すべし。所以は何、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり、諸仏此に於て三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃す」云云。「若経巻」とは即ち是れ本門の本尊なり、「皆応起塔」とは本門の戒壇なり、故に此の文意は本門の本尊所住の処に応に本門の戒壇を起つべし。所以は何、当に知るべし、是の処は法身の四処の故なり云云。明文白義宛も日月の如し、何ぞ曲げて私情に会せんや是四

(六巻抄 68  顕正会版 69)

戒壇建立の地は戒壇の大御本尊の住所である。理由はそこが法身の四処に当たるが故である。と切り捨てておられる。これすなわち法体の立て分けに迷う者に対して法体の根源と枝流のけじめを御指南されたもの以外の何ものでもない。

このように文底秘沈抄の中にも「事」「義」との言葉は無くとも「法体に約しての立て分け」というものは織り込まれているのである。

結論として、冒頭の彼の文底秘沈抄の解釈は良いところ80点といったところだろうか…。

 次回は法華取要抄文段に関して述べてみたい。

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