顕正会の思い出

MIRAIさん

私の顕正会の始まりは昭和61年2月2日たぶん日曜日です…。その頃の事から今までの活動の変遷を、なんとなく覚えている事をつぶやいてみたいと思います。なぜ、顕正会だったのか。なぜ、今、顕正会がカルト集団になってしまったのかが...

もうすぐ平成も終りますね。考えてみれば、私の顕正会の歴史は平成と共にあったのですね。今の顕正会では、総幹部会ビデオ放映に始まり、班長会、各部の集会、前月、前々月にあった各地の会館の御入仏式のビデオ放映又は、行事(御報恩勤行会)のビデオ放映と

総幹部会(本番)では、体験発表、正義に目覚めて、活動報告、〇〇に参加して、本部からの通達、幹部の役職拝命、新任決意、部長クラスの代表決意、そして待ってました!会長指導。これを当日最初から参加してたら、2時間超を無駄に過ごします。それもコレっ

顕正会の皆様は浅井会長の指導が根本にあって、世の中のことはご指導の通りと思っていらっしゃるらしいです。でも、よく裏づけを取って検証した方がいいかと。顕正会だけに(*◊*;)昔のご指導で、日本海に埋まっているメタンハイドレートが地球を滅ぼすっ

私は班長でした。ですから、班員さんを参加させる為に一生懸命になだめたりスカしたりして、会館や、ビデオ放映をしている会場にお連れして、ビデオ放映に参加して、浅井先生のご指導を命に染めさせていただくのです。況や、連れ出して、参加券を書いてもらう

3・11の後、原発反対に舵を切った顕正会は、原発ゼロを掲げて特集号と称する顕正新聞の配布を始めました。ガスコンバインドサイクル発電が、世界で一番の発電方法であるかのように発言し、原発の恐ろしさを煽り、我々こそが原発ゼロを推進する第一人者であ

10年程前に、夜のビデオ放映や会合では高校生以下は、9時には帰るようにとの御達しがあったのですが、いつの間にか、なし崩しになってしまいました。何があったのでしょうか?いろんな取り決めがされるのですが、本当に会員のことを思ってやっておられたの

法戦(ほうせん)戦いですね。何と戦って来たのでしょう。今でも戦っておられますか?以前は短期決戦で、1ヶ月法戦というのもありました。正味、20日間で、誓願10名とか、とんでもない目標立てて、ガムシャラに手当り次第に電話をかけて、世の中の迷惑な

ずっと昔、昭和の時代のお話し。北関東の片隅に、浅井先生自らがいらっしゃって開設して下さった渋川事務所がありました。ちょっとした住宅街の一角で、周りは田んぼと畑というド田舎でした。隣の家とも近くて、勤行していると犬の声が聞こえました。勤行の声

初めてお経本をいただいたのは、まだ、日蓮正宗顕正会だった頃。自我偈を繰り返し読んでいた記憶が微かに残っています。でも、誰もその意味や、なぜ方便品、寿量品、自我偈なのか、詳しく説明してくれる先輩はいませんでした。地方の早朝勤行では、諸天に向か

顕正会は正しい!浅井先生は絶対である!浅井先生こそが御仏意に叶う信心を導いて下さる師匠である。2020年代の大法戦場に連なり得る大人材に、急ぎ成長しなければ!我々顕正会員こそが御在世の清らかな信心を貫き、広宣流布、国立戒壇建立に戦っているの

顕正会での折伏とは?この仏法を教えてあげることでしょうか?入信勤行が目的なのでしょうか?簡単に言えば、「謗法の害毒を伝えて、正法以外には成仏の叶わない事を言い切り、この仏法に縁させてあげること」だったような気がするのですが?ある、新電力..

比較的最近、顕正会員になられた方々は、御書講義と言う言葉を知らないかもしれません。顕正会員だってちゃんと(?)御書を勉強していた時期もあったのです。でも、御書は四百余篇と言われながら、何回も同じ御書講義に遭遇しています。聖徳太子の逸話、雪山

私達がいた地方の組織は、ほとんどが学生か社会人に成りたての、若い人材の宝庫でした。会長が自ら足を運んで、事務所を開設したり、男子部長、女子部長、支隊長だった次男君が、常に通って励まし、なんとかカタチにしたかったのでしょう。今になって当時を顧

むかし昔、顕正会に縁をして、やっと本当の仏法に出逢えた!と喜んで、毎朝、毎晩、勤行に勤しむ女子がおりました。生活のすべてが仏法という法則の下にありました。どんな些細な事にも、罰と功徳が付いてきます。勤行を怠けた罰。新聞配布をした功徳。...

八月は、顕正会では原点の月でしたよね?今年の夏はいつに無く暑いです。地球が壊れてしまったのか、と思う程に、世界のあちらこちらで災害が発生しております。異常気象、気候変動、様々な要因が取りざたされています。...

○○記念大会とか、○○部大会、地方大会では、必ず芙蓉楽団の演奏や、合唱、いつの頃からか、雷門会なる太鼓まで登場するハメに。一番最初に出席した大会は、第二回武道館大総会でした。この時は、ただタダ訳もわからず連れていかれたという感じで、覚えてい

昔むかし、先輩から過去の新聞のコピーのコピーをいただいて、指導されたのを覚えています。それは、やさしい教学だったり、御金言だったり。信心の心得だったり。妙信講時代の新聞の記事や、冨士に掲載された記事もあったかもしれません。宗門のことなど知ら

区長、女子部長曰く、「茶寮の素材は最高級の物を使っているから高いんです。」との事で、よく、お高いケーキとか、美味しいお弁当とか、大宮の本部の茶寮で買いました〜なんて、部長クラスが写メ送って下さってましたけど、我々下々の地方会員にはどうしろと

自然災害に対する顕正会の思考回路について書いてみました…。

与太郎さん

皆さんはじめまして。私は顕正会より報恩坊の信徒となった与太郎です。とりあえず顕正会時代の思い出などをツラツラと綴っていけたらと思います。取り急ぎご挨拶まで…。

私が顕正会に入ったのはかれこれ四半世紀も前になります。当時不動産の営業マンだった私は自宅を購入したいという初老のご婦人を売却物件にご案内していました。その物件は広告物件と呼ばれるもので、傾斜地に立っているため登記簿上の土地面積は多いものの、

ただいまお山(大石寺)に来ております。上記の写真は山中湖です…。大石寺にはさすがにスワンはおりません…。大石寺から見る富士山もきれいでしたよ。ところで、先ほど御住職様から顕正新聞の4/25号を貰ったのです...

会社に戻った私はそのお客様の自宅をゼンリンの住宅地図で確認してみました。「WOW! 駅近くの電鉄系分譲地じゃん♪これだと8000万くらいかな。」「でもって買いが6000万だから、両手で往復ビンタでいけば850万か…。悪くねえな…。」...

新横浜に着いた私は指定された駅前の喫茶店に入りました。店内をグルッと見渡すとお客さまであるご婦人の姿がすぐに確認できました…、が!その横に見知らぬご婦人がもう一人…、「たぶんこの方とのお約束があったためにわざわざ新横浜まで来てくれと言っ..

最近「心の病」の本を多読しているのですが…、現代の世の中は、あらゆる能力を平均的にこなせる人物を重用しますが、世界の常識を変えるほどの業績を残す人はすべからくその平均値を…、追随を許さぬ程に引き離して独走しちゃったりしているんですよね…。ま