国教では無いから国立戒壇はない

よく顕正会の試験に出てくる問題、

「国教でないから国立戒壇はない」のたぱかりを破折せよ。

に関して書かせていただきます。

まぁ、結論から先に述べてしまえば、「国主たる者がこの信仰をし、その考え方や振る舞いが仏法に基づくものとなり、それが政治に生かされてきた状態をもって、正法がこの国に立てられたと見る。」わけです。すると、国は安泰になると…。

これが大聖人様の仏法の基本的考え方なのであり、そこには「明日から日本は御書を憲法がわりにしまぁ~~~す!」だとか、「日本国は今後一切あらゆる宗教を排除し、大聖人の仏法のみを国の行動規範とすることを、ここに公式に表明するものである!」などと国教として定めよとの意は存在しないというのが、御宗門の主張していることなんです。

それに対して昭衞さんは

「御付嘱状の「国主此の法を立てらるれば」、四十九院申状の「国主此の法を用いて」とは、まさしく〝国教にすべし〟との御意ではないか。」(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む194ページ)

と、吠えるのだが、

あくまで「国主」じゃん!どこに国家と書いてあるのでしょう?

っていうことなのですよ。どこまでも大聖人様の仏法は“心を持つ、人格を有する者”がその対象であり、そこに非情の国家は出る幕なぞ無いのです。

それを無理矢理に国家だ国教だと自分の考えを押しつけるから、ドンドン変な方向に行ってしまうのです。

それでは昭衞さんの引用された歴代御法主上人のお言葉に関して説明していきましょう。

日達上人御指南

『細井管長はいう

「(日蓮大聖人は)決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどとは仰せられておりません。日本の国教でない仏法に『国立戒壇』などということはありえない」(大日蓮45年6月号)』(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む193ページ)

と、昭衞さんは、日達上人のお言葉を引用して批判しますが、これもまたお決まりの“都合の悪いところを削除したうえでの”引用であります。

この発言の基は、その直前の昭和45年4月22日のお言葉の中に含まれております。しかし、これは表に活字化していない文章ですので、ここでの紹介は避けます。

しかしながら、昭衞さんが引用した文章の前後の文までを含めて拝読すれば、日達上人の仰ることの正しい意義が見えてまいります。

わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提(えんぶだい)第一の本尊此の国に立つ可し」(御書全集二四五頁)と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。

日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。』(大日蓮昭和45年6月号17ページ)

どうでしょうか?

この部分を通して拝読すれば、御宗門の解釈の意義がはっきりと理解できます。つまり、この一文は“なぜ国立戒壇という言葉を使用しないのか。”の説明をされているのであり、昭衞さんの引用部分も、その説明の一部分であります。これをこの部分だけをつまみ出してみると、意味不明の代物になります。

そして、昭衞さんは自分の意見へと強引に引っ張っていくのであります。

そして、これは昭衞さんの他の書籍にも顕著ではありますが、このように省略したり、あえて避けた部分にこそ、真実が隠れているのです。

日達上人のお言葉を再度掲載します。

わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提(えんぶだい)第一の本尊此の国に立つ可し」(御書全集二四五頁)と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。

日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。』(大日蓮昭和45年6月号17ページ)

日達上人は、“なぜ国立戒壇という言葉を使用しないのか。”という事に関して、青字の部分をその理由として述べられています。

つまり、大聖人様の仏法は日本のみならず、全世界、一切衆生の救済を目的とせられるのであって、日本国一国のみの観点から諸々を判断するのは視野が狭いということです。

もちろん大聖人様は日本を選び御出現され、法を説かれたのであり、この日本を中心に法が広まっていくのは当然のことであります。大石寺内の五重の塔などは、その扉は西へ向けて設けられているのであり、これは末法の衆生を救う法が東の日本より西へと向けて広まっていくことを示唆しております。

しかしながら、国家が大聖人様の仏法を国教として定め、これを看板に弘通を推し進めよとまでは説かれていないということなのです。

ここまでの理解があってこそ、初めて昭衞さんが引用した部分の正しい理解が出来るのです。

これらの認識を踏まえて引用部分を見るならば、積極的に、公式の立場をもって、国家がこの法を護るのでないのならば、国教ということにはなりません。あくまでも国主の自発的信心の発露としての仏法守護が肝要なのであって、公式の立場を利用するというのは、踏み込みすぎた解釈であります。

されば、国教とする意義がそこに無いのならば、また国家が公式にこれを守護するという意義もまた無いことになります。

それらを踏まえるならば、国立戒壇という語は意味合いの上からも不適当である。ということを日達上人は仰せなのです。

そして、ここで顕正会員の皆さんに考えて頂きたいことは、上記お言葉の最後の赤字の部分をなにゆえ昭衞さんはカットしたかということなのです。

これは“御宗門は「国立戒壇」という言葉を使用はしなくなったが、国主がこの仏法をたもち、この仏法をもとに政治を行い、日本を安穏ならしめ、御遺命の戒壇を建立する。という大聖人様の御遺命は未だ宗内に厳然として生きている。”ということを顕正会員に覚られないようにとの配慮以外の何ものでもありません。

言葉を使用しなくなった=御遺命の消失

ではないのです。

それを意図的にそのように顕正会員に洗脳しようとしているのですね、昭衞さんは…。

この御言葉は単に「国立戒壇」という言葉の不使用の宣言であり、御遺命は破壊されていない。

ということを、是非とも顕正会員の皆様には、今一度深く考えて頂きたいものです。

御隠尊日顕上人お言葉

次に御隠尊猊下の当時のお言葉です。

『「大聖人の仏法に、国教ということは全くありえないし、かえって正しい弘通が阻害(そがい)されよう。その国教ということが全く排せられるべきものであるから、国立戒壇ということも当然必要がないのである」(悪書Ⅱ)と。』(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む194ページ)

これは昭和51年に著された「本門事の戒壇の本義」の一節でありますが、浅井会長の引用部分の前には、なにゆえ国教としないのかの説明が分かりやすく書かれています。その部分を少し紹介致しましょう。

『大聖人が「立正安国論」を鎌倉幕府に提出し諫言あそばされたことは、すなわち国主と雖も仏弟子としての自覚を喚起せしめ、その成仏を図る必要があり、また、その社会的影響が強いだけに、国主の行為が人間性の変革によって是正されることにより広汎な範囲の変革が可能となるからである。従って、いわゆる国家意志そのものを目標として権力者へ諫訴せられたのではなく、権力者の信心の開覚を中心としてそれを仏国土建設の一助と目されたのである。』(大日蓮 昭和51年3月号37ページ)

『また御書の中に拝される公場対決についても、既成仏教界と権力機構の癒着という、当時の背景を考えねばならない。正論が通らず大聖人の主張を封じ込めようとした情勢に対し、最も有効に誤った癒着を矯し、かつ思想の正邪の決着をつける方法が公場対決であった。苟もそれにより公の権力で布教しようとされたものではないことを知らねばならない。』(大日蓮 昭和51年3月号37ページ)

『このようにその教法が偉大であり、より普遍的であればあるだけに、大聖人の仏法は決して一国とか一民族の範囲のみのものでなく、広く全世界に流布しその国々土地土地の民衆を救うべき必然性がある。』(大日蓮 昭和51年3月号37ページ)

『しかるに今日まだ世界の中には国教を定める国家が残存している。これはその宗教の閉鎖的孤立的状態を示すものである。少なくともその状態にある限り、現今あらゆる面で関連性を持ちつつある世界の国々の、共通した平和の目標にたいし進んで指導的立場と役割を持つことはできない。我が国としてもそれを模倣することは決して好ましいことではなく、むしろ時代に逆行というべきである。

そもそも高等宗教は元来が政教分離的教義より出発している。原始古代宗教が政教一体であったのにたいし、個々の生命の内奥より出発する救済を標榜したのである。特に仏教において、その教えと政治そのものとは自ら次元が異なるのであって政治権力を持つ者も仏法の下には一箇の信徒にすぎない。従って個人の精神の自由と解脱を説く仏教が、国家権力の下に特別の扱いを求めることはその宗教本来の精神の抛棄につながるのである。』(大日蓮 昭和51年3月号38ページ)

このように縷々説明あそばされた後に、昭衞さんの引用した結論部分に入るのです。しかしながら、これも前後の文があります。

それを意図的に削除すれば、日達上人のお言葉と同様に意味不明のものとなるのです。それでは、引用部分の全体を紹介致します。

日本の現平和憲法に規定された政教分離と信教の自由は、一般的立場からも有意義であることに変わりはないが、とくに世界民衆に真の自由と平和を招来すべき、唯一最高の大聖人の仏法が出現する国におけるものであるところに、無限の意義がある。まさに未来の世界民衆を導くための素地が制度的に確立したものというべきであろう。もし大聖人の仏法が国教ということになると、現在の国際間の状況よりしても信仰は日本一国にのみとどまり、全世界の人々が本門戒壇の霊場をふみ罪障消滅を祈ることは出来ないのである。


世界民衆の一人一人に成仏の大道を示してゆく
大聖人の仏法に、国教ということは全くありえないし、かえって正しい弘通が阻害されよう。その国教ということが全く排せられるべきものであるから、国立戒壇ということも当然必要ないのである。今日の時代は特に世界宗教としての大聖人の仏法の本質より見て、苟も狭い一国の枠における国家主義的な執見に囚われてはならないのである。』(大日蓮 昭和51年3月号39ページ)

赤字で示した部分が、浅井会長が削除した部分ですが、この部分までも含めて読めば、御隠尊猊下の言わんとしていることは明瞭になります。

これは先に紹介致しました日達上人のお言葉を更に細かく我々に教えて下さった内容となっております。

顕正会員の皆様には、単に「国教」「国教」と叫ぶのではなく、なぜ国教化をしないのかということをじっくりと考えて頂きたく思うものです。

それではメインの部分に移ろうと思います。

御遺命の戒壇建立の本質

昭衞さんは何故国教化が必要なのかということを以下のように申します。

『これは逆さまの論理である。“国教にすべきでないから国立戒壇はない”ではない、“国教にすべきであるから国立戒壇が必要”なのである。』(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む 194ページ)

この部分が最も主張したい箇所でありましょう。しかしながら、これは的が外れております。

御宗門の意見としては、大聖人様の仏国土実現の条件は、

『大聖人が「立正安国論」を鎌倉幕府に提出し諫言あそばされたことは、すなわち国主と雖も仏弟子としての自覚を喚起せしめ、その成仏を図る必要があり、また、その社会的影響が強いだけに、国主の行為が人間性の変革によって是正されることにより広汎な範囲の変革が可能となるからである。従って、いわゆる国家意志そのものを目標として権力者へ諫訴せられたのではなく、権力者の信心の開覚を中心としてそれを仏国土建設の一助と目されたのである。』(大日蓮 昭和51年3月号37ページ)

ということであります。すなわち顕正会流に言うならば、“正法授持による国主たる者の心法の変化が、言動の変化となり、その振る舞いの結果が真に安泰な国家の建設へと繋がるのである。”ということです。そこには形式的な国教化の意志表明などという条件は微塵も無いのであり、それを争点としているのではないのです。

その上で、国内だけに焦点を定めるのでは無く、大聖人様の御願業たる一天四海本因妙広宣流布という観点から考えるならば、国教化した場合のマイナス面が種々予測されるが故に、四悉檀の上からも、国教化すべきでは無いとの結論を導き出しているのです。

したがいまして、顕正会がこの両猊下の御指南を否定するならば、まずは大聖人様の立正安国の主眼が国主の心法の変化にあるのでは無い。ということを立証せねばなりません。

それを、その点は隠したままで、言葉尻をつかまえて、「国教にすべきでないから国立戒壇はない」と御宗門が安易に主張しているように会員に信じ込ませ、批判を繰り返すのは、論点のすり替え以外のなにものでもないのです。

更に昭衞さんは根拠としての文証を出してきますが…。

まったくもって滅茶苦茶であり、笑うしかありません。

とりあえず見てみましょう。

『「国教」の定義もいろいろあるが、もし「国教」を“国家が根本の指導原理として崇尊(そうそん)する教法”と定義するならば、三大秘法こそ日本の国教たるべき教法であり、大聖人の御念願もここにあられる。

御付嘱状の「国主此の法を立てらるれば」、四十九院申状の「国主此の法を用いて」とは、まさしく“国教にすべし”との御意ではないか。また三秘抄の、王法が冥ずる「仏法」、王臣一同が受持する「本門の三大秘密の法」、勅宣・御教書を以て擁護(おうご)すべき「本門戒壇の大御本尊」とは、まさしく国教そのものではないか。

そして、国家が根本の指導原理として三大秘法を受持擁護するその具体的発動が、国立戒壇の建立である。ゆえに、国教だからこそ国立戒壇が必要なのである。

現憲法に気兼ねして「国教」を禁句のごとく扱う必要はない。』(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む 194~195ページ)

どうでしょうか?赤字を見れば一目瞭然です。文証として出してきた御金言も、「国主」とは仰せになってはいますが、「国家」とは言っておりません。つまり、国主の帰依と、その信心の開覚が問題なのであり、そこから一歩踏み込んだ国教化による、国家意思の公式表明までを言及されているものではありません。

次に、三大秘法抄においても、「仏法と王法が冥ずる」、「王臣一同が受持する」、この二点に関しては国主の帰依、万民の帰依という広宣流布の実態が伴っていれば、別に問題はありません。国教とは無関係であっても成り立つものです。

最後に「勅宣・御教書をもって」の部分に関してですが、現代の民主政に於いては少し難しい問題になるやもしれませんが、専制政においては国主の帰依をもってこの点はクリアーされます。

ここで顕正会員諸氏は専制政について異議を唱えるかもしれませんが、時代はどう変わるかは分かりません。一国の広宣流布のとき、天皇陛下が名実共に国主として復活されていることも可能性としては十分あり得るのです。

ようするに、昭衞さんが文証として出してきた物はすべからく「国教にしなければならない。」との裏付けになるものでは無いのです。

むしろ、御隠尊猊下の御指南を裏付ける物になっていると言うべきなのです。

日淳上人お言葉

最後に日淳上人のお言葉について述べます。

『第六十五世日淳上人は堂々と

「真に国家の現状を憂うる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法による国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮32年1月号)

と御指南されているではないか。』(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む 195ページ)

と、昭衞さんは鼻息を荒くして叫んでおり、その手下たる顕正会員はこのお言葉を切り札として使ってきますが、日淳上人はさぞやご迷惑なことだろうと思います。

このお言葉は「新年の言葉」と題されて大日連に掲載されたものですが、この短い御言葉だけを拝読してみても、この時代に於いては日本国内が主たる布教の対象であり、また「国家の情勢を察する時」、「国内の政治経済に於いて」等の言葉からも、日本国内を対象とした内容になっていることは一目瞭然です。これは全文を拝読すればだれしもわかることです。

また、終戦後からの日淳上人の著述を通して拝読すれば、欽定憲法により信教の自由が保障されたことと、現憲法の政教分離による、民衆の宗教に対する認識の混乱が招いた現状から、早くも民主主義の矛盾点限界点を見極められ、正法治国こそが国家安寧の唯一の方策であると何度も何度も繰り返し述べられているのです。

その上で、このお言葉を改めて拝するならば、当時の終戦後の日本の混乱を解決するためには、正法治国こそが一番の大事であるということを述べておられるに過ぎず、浅井会長のように国家意思の公式表明をせよとまで言っているわけではありません。

更に言うならば、先にも申しましたように、このお言葉は国内に主眼をおいての言葉でありますから、国教という言葉を使用されてはおりますが、ここに一切衆生への救済、全世界への布教という観点をも含めてお言葉を発しなければならないとしたならば、おそらく国教という言葉は使用されないだろうということは簡単に想像出来うるものであります。

結論として、昭衞さんが主張するところの「国教にすべき」との論は全て誤りであることを、ここにはっきりと申し述べておきたいと思います。

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