日寛上人 戒壇の「事」「義」 6(法華取要抄文段 その2)

本尊所住という義理

 凡そ本門の戒壇とは、一閻浮提の人の懺悔滅罪の処なり。言う所の「戒」とは防止を義と為す。謂わく、無始の罪障を防ぎ、三業の悪を止むる故なり。宗祖の云わく「此の砌に臨まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜんのみ」〔一五六九〕云云。豈非を防ぎ悪を止むるに非ずや。

この段では「本門の戒壇」とは何かを示しておられる。「 一閻浮提の人の懺悔滅罪の処 」とは三大秘法抄の戒壇を指し、赤字で抜いた部分は南条殿御返事の法身の四処を指す。当然のことながらここでは広宣流布後の戒壇のみを想定しているのではなく、本門の本尊所住の処を指しているのである。つまり広宣流布後の御遺命の戒壇は当然のことであるが、「現時における事の戒壇」もまたこの「本門の戒壇」なのである。これこそが「義理において事の戒壇に当たる。」という意味なのである。

当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ則ち事中の事理にして述門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。

本門の戒壇には「事の戒壇」と、道理の上から事の戒壇にあたる「義の戒壇」の二つの立て分けが存在することをここで明かす。

初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。経に云わく「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」とは是れなり。天台の云わく「仏其の中に住す、即ち是れ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。

「義理、事の戒壇に当たるなり。」とは「道理の上からは事の戒壇に相当する。」と解釈すべきである。すなわち御遺命の戒壇建立にあたっての「事の戒法」の具体的な顕現は未来のことであるにしても、法体の真秘はすべからく戒壇の大御本尊に具わっているのであり、そこに詣でることにより冒頭の利益もまた得るのである。これすなわち日達上人仰せの「現時に於ける事の戒壇」そのものである。

また黄色のマーカー部分は神力品における「 当知是処即是道場 」「法身の四処」をしめし、「本尊所住の処は義理の上からは戒壇にあたる。」という事相に約しての義理をここで明らかにされているのである。そして「 故に当山は本門戒壇の霊地なり。」として戒壇の大御本尊様の御在所たる大石寺は本門の戒壇にあたるとされているのである。

ここで顕正会員の皆さんに認識していただきたいのは、ここまでの部分においては戒壇の大御本尊様の御在所のみを取り上げられているのであり、嫡々書写の御本尊に関しては比較相対の対象になっていないということである。すなわち戒壇の大御本尊様の御在所一か所のみを見つめ、「広宣流布以前」「広宣流布以後」という時の流れを物差しとして「事」「義」をたてわける際の「義の戒壇」を述べているのがこの冒頭三段なのである。

根源と枝流の一節に関して

さて顕正会員との間で論議となる「根源と枝流」の一節に関してであるが、ここから些か複雑になってくるので頭を柔らかくして聞いて頂きたい。前回私は「この法華取要抄文段にも事相に約しての「義」と法体に約しての「義」が織り込まれている。つまり「二重の義理」、「二つの物差し」が併行して説かれているのである。しかしながら彼の主張は大多数の顕正会員さんが陥る「事相に約しての義理」しか目に入っていない。よって最終的に矛盾もまた生じるのである。」と書かせて頂いた。ざっと考えただけでも彼の物差しでこの御指南を拝すると以下3点の疑問が出てくる。

顕正会流解釈における3つの矛盾点

  • なにゆえ「広宣流布の時至れば」として広布後の根源と枝流を比較するのか?
  • 事相に約しての「事」「義」しか存在しないのであれば、「 亦復当に知るべし、~ 「本極法身は微妙深遠なり」等云云。」までの部分は必要ない。要はこの部分を削除しても意味は通じる。(文底秘沈抄の如し)
  • 「 広宣流布の時至れば 」として広布後の話をしているにもかかわらず、後段においては「今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。 」と現代の話にすり替わっておられる…。これ如何。

これらの矛盾点を彼はどのように会通しているのだろうか?そもそも日寛上人ほどの方が必要ないことを文中に差し挟むとは到底考えられない。そこには必ず意味を含んでいるはずである。これに関しては彼への宿題とし、万人が納得する回答を待ってみたい。

義の戒壇における二つの義理

日寛上人の御指南の特徴の一つに「義理」とあげた直後にその「義理の意味」を必ず述べるということがある。つまり私が一番最初に申し上げたように

 

 

 

1. 「事」「義」というのは比較相対の表現であること。

 

2. 日寛上人は「義」との表現を多用されるが、その「義」とは何を比較の物差しとした「義」であるかをその都度明らかにすること。

 

 

 

これらの情報を日寛上人は「義理」と述べた直後に必ず説明されているのである。これから触れる箇所の「義理の戒壇」の後には「根源」と「枝流」という比較をもって法体の相違を説き、御遺命の戒壇建立の地はいずこかの比較をするのである。そして嫡々書写の本尊はその場所ではない。なぜならば法身の四処ではないからである。さればここでの嫡々書写の本尊安置の処「義の戒壇」とする意味はなんであろうか。それは「題目修行のところ義の戒壇」の「義」である。と述べておられるのである。それでは詳しく見ていこう。

 

 

題目修行の場という義理

亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。

ここでいきなり上記の矛盾点の一つが出てきた。なぜ「広宣流布の時」に限定して「事」「義」を論じる必要性があろうか。これは前回少し述べたが、「ここでの「根源と枝流」の話は前々回の記事で取り上げた文底秘沈抄の「 問う、癡山日饒が記に云わく…」の邪義を受け、法体の立て分けに迷う者に対して、法体の根源と枝流のけじめをつける御指南をそのまま流用して法体に約しての「事」と「義」に言及されている。」 ということなのである。

そしてここでの「皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」の「義理」とは彼の主張する「本門の本尊所住の処」の意ではなく、もう一つの義理である「本門の題目修行の処」を意味しているのである。これに関しては以下に説明しておいた。

前回までに戒壇の「事」と「義」を立て分ける基本的考え方に関して述べてきたが、彼らが提示してきた各御指南の検証に入る前に一つだけ日寛...

文底秘沈抄では「御遺命の戒壇は本門流布の地であればどこに建立しても良いのである。」(趣意)という癡山日饒の邪義に対し「経に云わく「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても是の中皆応に塔を起てて供養すべし。(乃至)故に此の文意は本門の本尊所住の処に応に本門の戒壇を起つべし。所以は何、当に知るべし、是の処は法身の四処の故なりと云云。明文白義宛も日月の如し、何ぞ曲げて私情に会せんや是四。」として戒壇の大御本尊所住の処は法身の四処であり、そこに御遺命の戒壇を建立すべきである旨を説かれている。すなわち「本尊所住の処、義の戒壇」とは、別しては戒壇の大御本尊様所住のところを指すのである。

したがって「嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」の「義理の戒壇」とは「題目修行の処であるが故に義理は戒壇。」と拝すべきである。なお、ここにおいて「広宣流布の時至れば」と仰せなのは、上記癡山日饒の邪義が「御遺命の戒壇建立の地」を論ずるがゆえにこの語が挿入されたとみるべきであろう。したがって広宣流布以前以後を問わず法体の相違を比較しているのがこの部分であり、そのように拝していくならば上記3点の疑問のうち

 

 

 

 

 

  • なにゆえ「広宣流布の時至れば」として広布後の根源と枝流を比較するのか?
  • 「 広宣流布の時至れば 」として広布後の話をしているにもかかわらず、後段においては「今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。 」と現代の話にすり替わっておられる…。これ如何。

 

 

 

 

 

以上の2点が矛盾なく解決するのである。

然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。


癡山日饒の邪義とは「本門流布の地皆是れ富士山本門寺の戒壇なり。故に百六箇に云わく、何の在処たりとも多宝富士山本門寺と号すべきなり云云。経に云わく、当知是処即是道場とは是れなり」として嫡々書写の本尊安置の処も御遺命の戒壇が建立されても良いのであるという邪説である。これに対して日寛上人は当宗の本尊には根源と枝流のけじめがあり、戒壇の大御本尊所住の処が全ての根源であると説かれる。

 

 

 

 

 

戒壇の大御本尊と嫡々書写の本尊の意義による立て分けとは以下の観心本尊抄文段を見れば分かりやすい。

 

 

 

 

 

問う、当門流に於ては総体・別体の名目、之を立つべからざるや。答う、若し其の名を借りて以て其の義を明かさば、本門戒壇の本尊は応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々の本尊なるが故なり。

(御書文段 243)

 

 

 

 

 

このように一閻浮提総与の御本尊と嫡々書写の御本尊には自ずとその目的が存するのであり、両者には明らかなる性格の違いがまた存在していることをここで明かされるのである。

 

 

 

 

 

そしてここでの一節で戒壇の大御本尊所住の処こそ根源の事の戒壇であり、ここにおいてのみ御遺命の戒壇が建立されるのであると癡山日饒の如くの邪義を斬り捨てられるのである。

顕正会が隠す一節

ここからの2段は顕正会員さんは目にしたことが無いはずだ。折伏理論書
(折伏理論書改訂版 128) でもこの部分はサクッと省略されている。なぜ浅井さんがこの一節を隠すのかと言えば、この部分こそ「法身の四処であり広布の暁には御遺命の戒壇を建立すべき現時に於ける事の戒壇」を言い切っておられる箇所だからである。それでは見ていこう。

妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云。

この黄色のマーカーで示したところは文底秘沈抄にも全く同じ引用があられる。

 又云わく「何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し、本山と為さんや」と云云。

 今謂わく、鳴呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。

 一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり。弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を稟く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」云云。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云云。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。

(六巻抄 68~69 顕正会版 69~70)

文段では一節の引用のみではあるが、その意味は文底秘沈抄に詳しく述べておられる。戒壇の大御本尊は広宣流布の根源であり、その所住の大石寺こそ本山と仰ぐべきであり、志ある人々は登山参詣すべきであると仰せである。まさしくこれは日寛上人の有名なお言葉

未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊存する上はその住処は即ち戒壇なり、その本尊に打ち向かい戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱うれば即ち本門の題目なり。志あらん人は登山して拝し給え。

(歴代法主全書 4-145)

そのものなのである。また赤字で示した「 今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。」との一節もこれと同義をなすものであろう。 この広宣流布の根源を現時に於ける事の戒壇と拝して信行に励むのが、正しく大聖人様の仏法を信行する者のつとめなのである。

凡そ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く源遠きに非ずや。故に天台の云わく「本極法身は微妙深遠なり」等云云。

最後に日寛上人はこの戒壇の大御本尊は御本仏大聖人そのものであるがゆえ根源であると結論付けられている。ここまでの段で戒壇の大御本尊所住の処は、その意義の上からも嫡々書写の本尊安置の処とは違うのであり、法体に約した事の戒壇であることを仰せなのである。

御遺命の戒壇

次に正しく事の戒壇とは、秘法抄十五三十一に云わく「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三の秘法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁世の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」〔一五九五〕等云云。

最後に日寛上人は御遺命の戒壇をあげられる。そしてこの戒壇をもって「正しく事の戒壇」とされる。

 

 

 

顕正会員さんはこの部分をサラッと素通りしてしまうのだが、この「正しく」という三文字が実に大きな意味をなすのである。

 

 

 

「正しく」ということはそれ以前に「それに準じた」同様の「事の戒壇」を日寛上人は説いたということである。

 

 

 

いったいそれは何を指すのか?

 

 

 

どんなに愚鈍な者でも理解できるであろう。前段までに説いた「根源」とされる「戒壇の大御本尊所住の処」こそが「御遺命の戒壇に準じた事の戒壇」である。これは日達上人の一連の御指南と全く相違しないものだ。

 

 

 

すなわち日寛上人は、同じ文章中に広宣流布以前における戒壇の大御本尊所住の処を「義の戒壇」と述べた箇所があると、その後御遺命の戒壇を説かれる際には必ず「正しく」との一言を入れるのである。これは文底秘沈抄においても然りである。逆に報恩抄文段では「戒壇の大御本尊所住の処、義の戒壇」とはしていないので「正しく」の文字は入れていないのである。

 

 

 

つまり、日寛上人はこの法華取要抄文段において二重の「事の戒壇」を説かれているのである。

 

まとめ

以上のようにこの法華取要抄文段においても事相に約しての立て分けと法体に約しての立て分けを併行して述べられていることを証明した。また根源と枝流とは顕正会流の義理の戒壇に分類した中での立て分けではないことや、根源とは「現時に於ける事の戒壇」と日寛上人は認識していることもまた論証してみた。次回は彼のTwitterでの投稿に対してその誤りを指摘してみたい。

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