夏期修養会 日達上人お言葉

平成21年(2009年)1月21日

最近の顕正会では正本堂を「ニセ戒壇」と呼んでいるようですね。これは御遺命の戒壇でないものを御遺命の戒壇と偽った建物であるから、というのがその理由のようですが果たして本当にそうでしょうか?

学会はともかくとして御宗門が正本堂を御遺命の戒壇と認識していないことは前回の記事でも触れました。

平成21年(2009年)1月16日 前回は昭和42年当時の反省を述べられている文章をご紹介したわけですが、これらはい...

この中で「広宣流布の前に御遺命の戒壇を建てても良いのか!」というのが御遺命破壊か否かの物差しであると申し上げました。その上でですが、この物差しをもって計る上において基準になるものが必要かと思います。ここに昭和34年の夏期修養会における日達上人の御講義を紹介致します。



昭和34年ですからまだ日達上人は御登座前です。ただこの時代は未だ正本堂の影も形もなかった頃であり、学会を慰撫教導する為という煩わしい条件もまた存在しない時代でした。

そんな頃の御講義です。



少しばかり長いですがジックリと読んで頂けたらと思います。なお、この文章中にはその後の浅井会長の発言の裏を証明する表現もまた含まれております。現役の顕正会員では決して教えられていない表現方法です。このような些細な部分からもまた本当の真実は何だったのかが透けて見えてくるのです。



それではよく噛みしめて読んでみて下さい。

昭和34年 夏期修養会における日達上人お言葉

 富士山でその広宣流布した暁に本門寺建立するのである。そしてそこが本門戒旦の地となるのである。

ところがそこに安置するところの御本尊は戒旦の大御本尊である。そうして見ると今我が本山に戒旦の御本尊を奉安し、しまってあるのでございます。これこそ戒旦の御本尊のまします所が今度は戒旦の地、謂ゆる本門寺とならなければならない、だから広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立戒旦の大御本尊を安置し奉って事の戒旦建立ということになるのでございます。

それまでは戒旦御本尊をたゞおしまい申し、固く護る先師方が客殿の後の奥深くに戒旦の御本尊をお護り申すということを仰せられて居ります。我が本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後に奥深く戒旦の御本尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁迄はしまっておくということになる。今皆様が今日御開帳がございますが、その参詣は事実は参詣することが出来ないが今の人々は広宣流布の暁にあふか、あわないか分らないのである。それ故慈悲の為に内拝としてこれをお参りさしておるのでございます。

戒旦の御本尊はどこまでも蔵の中にあるのでございます。誰がみても今の奉安殿は外から見ても立派である。然し戒旦の御本尊様のまわりを御覧なさい石である。石でかこってあるきりで蔵ではないか、そこには何を供えてあるか、普通我々の様式から行くと御本尊の前に三具足を供え、しきびの花を供えるのが本位であります奉安殿の中にしきびがありますか、ないじゃあないですかこれも又皆さんの不思議となるのでございますが、この不思議は、そのしきびは客殿にあります。客殿に皆様が勤行において二回目に唱える奉安殿に向って遙拝するあすこにしきびがある。だからこれをもって、おして行くと戒旦の御本尊はどこまでも蔵の中にしまってある。蔵してあって拝むのは外から遥拝する。たゞ特別に内拝の為にそば迄行って拝めるというのである。

だから今度はその戒旦の御本尊をお出まし願って、はじめて、そこに本門寺の戒旦建立ということが出来上るのでございます。

お出ましは先程から申すところの謂ゆる広宣流布の暁である。

昨日も申上げました通りに大聖人が上野殿に申した通り広宣流布は一時に来たることあるべしと今我々が広宣流布が何時か分らない、遠い昔の様に考えておりますが今日の如く、こう云う風に皆んなこぞって折伏をなしている時こそどんどんと信徒が増えて行く、その時、一時に広宣流布が到着するかわからない。その若し一時にしても到着した時に、はじめてあの御本尊をお出し申して戒旦建立をしてこそ、はじめて富士山に本門寺の戒旦建立ということが来上するのでございます。



(大日蓮 昭和34年9月号 48~49ページ)

旧ブログ記事に付いたコメント

Re:昭和34年の御講義  でんじ さん
 
 
初めてコメントさせていただきます
私は法華講員ですが、同じような内容を宗門見解で何度も見聞きしており、日達上人ならではの内容では無いと当然のように理解しています
標記の御指南を「噛み締めて」熟読しなければならない程に、顕正会員の信仰が曲がっているは、由々しき問題です
大御本尊を信じるのなら、大聖人御自身が定めた後継者の言う通りに信行に励むのが、信徒の当たり前の在り方でしょう
屁理屈並べずに、一刻も早く「唯一の」正法に帰依するべきです (2009年01月25日 22時55分54秒)
 
 
 
Re[1]:昭和34年の御講義(01/21)  トチロ~ さん
 
 
でんじさんへ

ご無沙汰致しております。あちら(GREE)では突然姿をくらましてしまい失礼致しました。相変わらず放浪癖が抜けないものでお許し下さい。

ところで、この御講義の内容は顕正会員も皆理解し納得するかと思います。それこそむち打ちになる程首を上下に振るかと思われます。ですので、このご講義に異議を挟むほど彼らも腐りきってはおりませんので誤解なさらないで下さい。

最後に「噛みしめて」の表現はこの後に進める話の伏線だったのですが…。詳しくは日記上でご説明しようかと思います。

結論だけ申しあげますと、上記ご講義の「戒旦の御本尊をお出まし願って」、「お出ましは」、「はじめてあの御本尊をお出し申して戒旦建立」、これらの表現が何を意味するものかは日蓮正宗の僧俗であればすぐにピンとくるものなんですが、顕正会員の殆どはまるで理解出来ないのです。

そして、その表現が妙信講の昭和40年5月度総幹部会において埋め込まれているのです。それを分かっていながら浅井会長は「あの頃は誑惑が顕著でなかった…。」などとすっとぼけた事を仰っておりますので、それを何も知らない顕正会員に噛み砕いてご説明しようかと思った訳でございます。

それの仕込みの段階だったのです。

今後ともひろし君共々よろしくお願い申しあげます。


(2009年01月26日 17時47分00秒)
 
 
 
 
写真が~~いいですねぇ  コットンあめ さん
 
 
きれいな富士ですね。

新年の富士でしょうか。

いいなぁ~

霊山浄土ですねぇ~

奉安堂と富士さんも素晴らしい景色ですよね。
神々しくて。

(2009年01月28日 00時43分57秒)
 
 
 
Re:写真が~~いいですねぇ(01/21)  トチロ~ さん
 
 
コットンあめさんへ

この間お山に行ったときの写真です。

これから桜が咲く頃までが一番綺麗に見える時分かもしれませんね。

奉安堂の前から望む富士山も撮ったのですが、今ひとつ綺麗に撮れなかったので、この写真をアップしました。(^^)



(2009年01月29日 20時59分52秒)
 
 
 
 
 
 
 
 
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