嘘を強要する「顕正新聞」

手記 女子部班長 武田真理

 

 

今度、妙信講を脱講させて頂きました。私の目で見てきた妙信講は初めは漸新さを感じましたが、一つーつを冷静な目で見極めて参りました時、何かしら仏法を奉じている団体の姿ではない様な感を抱いて参りました。例えば大聖人様の御遺命守護という美字麗句の下で同門の学会を罵り、喚き、又は恐れ多い事には、宗門を侮り、果ては御法上人猊下の御ことすら悪ロを云うそれは同じ信徒として、若い私には許せないものとして感じて参りました。しかも、その方法手段は悪質極りないものでありました。それはもう仏法以前の問題であり、正に修羅界そのものの姿として写りました。

 

又、捏造を平気でなし、例えぱ私の父、広島支部長として顕正新聞に原稿を提出しましたところ、顕正新聞社より、原稿の中に悪徳弁護士桐ケ谷、山崎等の……と書き添える旨、連絡が有りましたので父はハッキリとした口調で「私が見た事も会った事も話した事も無い人を私には書けません」と言っていたのを覚えておリます。当時父は、破邪新聞によって悪人呼ばわりされておりましたが会った事もない人を悪徳弁護士云々……などとは書けない人ですし、父は自分の目で見、肌で感じた事を表現する人ですから父の言う方が正しいと娘の私でさえ“父は偉いんだなあ″ と尊敬した事を覚えてます。それが新聞が発行されて飛びつく様な思いで読んでまいりますと、何と父が否定していたにも拘わらずその語句が厚かましくも活字となっているではありませんか。私は妙信講の新間は嘘、偽りが有る筈は無いと堅く信じておりましたので僅かばかりの活字ではありましたが、いささかがっかりし、ショックでした。

 

又、よくわからないままにも本当に仏意仏勅であるところの講中にしては折伏の数が遅々としていてこれで、広宣流布に間に合うのかしらなどと、漠然と思ったりしていました。指導者である浅井氏は弁舌爽やかで、戦いに拍車をかけている様ですが、読く人々には通じないらしくその動きは一部の人々を除いてはどこか、緩慢でさえあった様に思われました。登壇する方達も何か、一つのパターンを破り切れず、独特な調子でいつも同じ様な新鮮さに欠けたものばかりでした。登壇するとなると何日も前から原稿を本部に提出し、検閲を受けてから訂正されたり添付されたりといった様な具合いで発表を許されるのでした。こういう些細な事を見るにつけても、決して清純な団体ではない様に思われてなりませんでした。意外とこんな些細なところにも、その体質が現れていたのでしょうか。

 

それらの事実を一々挙げればきりがありません。とても私達家族には住むべきところではないと決意し、これからは日蓮正宗の信徒として、御僧侶様の指導を仰ぎながら、ひたすらに、日蓮正宗の信徒らしく折伏に邁進致し、僧俗一致の姿をもって広宣流布のお役に立てさせて戴きます。二年間とはいえ大謗法の中に染まったこの身命を富士の大石寺の大御本尊様に深くお詑び申し上げ罪障消滅させて頂さます。これから本当の御奉公をさせて頂けることを思えば、身も震えるばかりの喜びで一杯でなりません。

 

(破邪新聞 第17号 4ページ)