血脈付法の猊下の御指南のままに

手記 広島支区部長 武田智子

 

二年間お世話になっておりました妙信講を今度、意するところありまして脱講させて頂きました。

 

短かった二年間ではありましたが仏道修行をする者としてあやまった修行をしてはならないと家族全員種々の角度から冷静に見極めて進んで参りました。

 

ふり返りましたとき、妙信講にはなにかしら強烈でしかも新鮮ないかにも妙信講で云うところの熱原の法華講衆の如き集りであるかの錯覚をおこしていたように思われてなりません。日蓮正宗の信徒として熱原の法華講衆にも似てとかの言葉を耳にしますと誰人でもその信心の純枠さに胸を打たれない人がおりましょうか。

 

私と主人とが浅井さんにお会いしたのは四十九年六月十二日でした。その時、前にも述べました通り、強烈で新鮮でまるで正義の鬼のようにお見受けして参りました。そして主人に「骨は私が拾ってあげます。安心して御奉公して下さい」と私達はまたまたびっくりしました。初めてお会いした人から「骨を拾ってあげる……といわれた嬉しさ、御遺命守護に命を賭して戦って参りました。あの時の感激は忘れておりません。でも今ではーつー つ私達の家族から悪夢がさめたようにどんどんと遠くにその思い出は消えて行っております、広報活動にいたしましても、もはや仏道修行をしている嵩高な団体とは思えないようになりました。私達が求めていたものは日増ごとに遠ざかって行くのに気がつきました。日蓮正宗の信徒であるならば宗務院といたしましても、よういならぬ私達末端の者などにはとうてい知るよしもない理由があればこそ、破門されたのではなかったのかとか。

 

また法廷闘争におきましても世間一般の出来事ならいざしらず、尊い御法を法廷で争うなど、とても私達信徒としては考えられないことです。一般の人々の目にはどんなに映っているのか首脳部の方々は考慮されているのでしょうか。もったいないことに御法をさげてしかいないのではないでしようか。

 

去年の十月末のこと、主人は又又定例の総幹部会に二日ほど早く東京の本部にお世話になったことがありました。その時に主人は(当時支区部長)見てはならないものを見て来たように帰宅するや、「お前にだけ云うが」と顔は少々青ざめておりました。聞くところによると、主人は何もしらず「行って頂けますか」の誘いにのり、どこかに折伏にでも行くのかと思い広報車に同乗して行った先が山本さんという法華講連合会の青年部長さんの動務先だったそうです。

 

村岡さん、丸山さん、神野さん、本間さんと主人の五人で動務中にもかかわらず、席に着いている山本さんに「外へ出ろ」「外へ出ろ」と叫び、なんでも、常識のある人のとる行動とは思えないしかも仏道修行をしている人々のする行動とは思えなかったと、それはとても筆舌には尽せないほどのすさまじさだったというのです。その夜に浅井さんを囲んで、代表した人が面白おかしく報告すると浅井さんはソファーの上に足を組立て「そうかそうか。それからどうした」といった具合だったそうです。私は仏道修行する、しかもその将たる身としてどこかに毅然としたところを見せて欲しかったと思いました。

 

続いて、十一月九日創価学会第三十八回総会の事件、あの時はなにか大きなことが広島で行なわれるということだけで緊急に八日の夜中までに私宅に集合ということでした。その計画は内密に本部において進められていたものでした。八日夜中、高知支区が着いてから長岡さんより、やや説明がありまして、翌九日朝、はっきりした闘争計画が明され、それは地元の主人でさえも知らない細い地図が手渡されました。主人は地元の責任者でありましたので先陣きってしかも主人の責任のもと幕がおろされたのでした。この時もやっばり元学会員の者は信用していないのだなーと心ある元学会の人々は思い思いに感じられたことでしょう。

 

続いて十一月三十日、第一回広島支区大会に浅井さんが広島においでいただいた時です。私宅に来る途中、学会の車、又は県警の車等と前後左右といったようにつけられ、私宅の前には数台といったように学会の車と県警の車と入りみだれてとまっておりました。私宅はいつもそうでしたから別に気にもとめていませんでした、ところが、浅井さんはあわてたようでした。会場を変更させ私宅でもいいのではないかとか、また帰りには一度帰路につきました足をとめ、村岡さんに命じ、東京には何時何分につくから迎えに出るようにとのことでした。私はそれを聞いて何かしら「アラ」と不審に思いました。私達は持に主人は命を賭しているのだから、時には得体の知れない車につけられたりしますと不気味に思ったこともありました。

 

でも仏法に殉じたいとの願いだったので、 正しいことをして命つきても本望と思ってい ましたので恐しいと思ったことは度々ありましたが、腹はきまっておりました。そのためかそうはあわてたことはありませんでした。それに比較し浅井さんの態度には不思議な気持でした。東京の皆さんを見送った後は何か斗ったときの充実感はなくむしろこれでいいのかなーと思っておりました。

 

御遺命守護の看板にかくされ、同じ日蓮正宗の信徒である学会をただ怨嫉し悪人よばわりをしている過激派の団体であるようにしか 思えませんでした。同じ宗門にありながら、なぜ醜い斗いが行なわれているのでしょう。

 

その後主人が十一月三十日に広島支部長に任命になりました。それからが長岡さんの態度が手をとるように思い知らされて来ました。支部長としての打つ手を一つーつとめられていました。何をするにも長岡さんを通さなければだめ、本部に直接電話してもだめ、本部の本間さんに電話してもだめ、浅井さんに電話してもだめ、許可なく四国に行ってもだめ、九州に行ってもだめ、何んでもだめだめづくしでした。電話しなければしないで云われ、四国、九州に行かなければ行かないでいわれました。その中でも主人は必死で支部長としてなんとか広島を守らなければと悩んでおりました。そこには色々ありましたが主人はいつも耐え忍んで参りました。

 

そんな時大牟田のFさんより活動するのに今の仕事ではとても出来ないというぐちにもにた相談がありましたので、主人は共々に斗う同志愛、友情としてT社長にFさんを紹介してさしあげましたところ、お互に気にいられ意気統合しておりました。私と主人は留守をしておりましたのでその時の出合とか二人の感じはわかりませんが、T社長さんは九州男子にほれこんだのでしょう。

 

その夜もT社長さんK常務さん、Mさん達がお帰りになったあとFさんは興奮して「よ かよか」の連発でした。しかもT社長さんは Fさんの条伴をーつーつのみこみ大牟田の地においてFさんのために一軒屋を借りてやり、又Fさんのたのみで大牟田の地において親族に船出を祝ってもらいたいので大牟田の地で発足式をして欲しい等々と数々の条件をのみこませたのです。そして二十一名の人を集め(大牟田十六名)実際に六月五日に宴会が行われたのです。


それから二日経ちましてからFさんより電話がありまして急にこの仕事はおりたい旨電話がありました。主人と私は脳天をハンマーで打たれたような気持でした。T社長に顔むけがならない、さんざんと披露させたあげくに!唖然としてしまい尚も聞いてみましたところ浅井さんからの指導であったとのことで した。

 

主人は二つ返事で「先生の指導であったのならそうするのが当然だからFさんおりなさい。後は私からT社長に連路しておきます。でもFさん指導を受けるのならもっと早くいくらでも日があった筈だ、どうしてこんなになってから……」と、長い電話でした。

 

それから私と主人は断わるにも妙信講に傷がつくような断わり方をしては困るし、あまりにもあの宴会の席上Fさん一族が妙信講員は絶対に裏切るようなことはしませんと口々にT社長夫妻とK常務に挨拶をしているし、どうしようと私達二人は悩みました。同月八日午前一時頃Fさんに断り方を相談しようと思い電話しましたところ、まるで狐につままれたような返事が返ってまいりました。

 

Fさんの第一声は「武日さんあんたは大うそつきだ」云々と数限りない悪口を云われました。そして「七日大牟田に長岡さんが来て皆を集めて話してくれた。武田はこの仕事に浅井先生がお金を出してくれたので高知のTさんの処へ行って、どうです一緒に仕事をやりましょうとTさんをのせようとしたがTさんは賢明なので断った。そこでその話をこんどFさんに持って来た」とこうゆう旨の電話 でした。

 

私も電話をとって聞き、がく然としまし た。開いた口がふさがらないとはこのことです。私自身Fさんより「奥さんこれうそですか、本当ですかどっちですか」といかにも犯人を扱うように云われました。私も主人も「だれがそんなうそを云えるか。しかも先生の名前をもってそんなこと云える道理がない。嘘だ、そんなことは一言もいっていない」と話してもわかりませんでした。そうしましたらFさんは「だったら今からでもいい、長岡さんはうそをいっているとわかったら私はすぐ にでも東京の長岡さんの家に行って打ち倒してやる」とか「先生の前で対決してやったらいいじゃないか」といわれました。

 

主人は荒いことは嫌いです。自分自身、身に覚えのないことですから「Fさん対決してなにになる、相手を落すだけでないか」といいますとFさんは、「自分がうそを云っているから対決出来ないのだろう」と云い張ります。そこで主人は「そんなに知りたければ高知のTさんに電話したらいいだろう」と云いました。それでFさんは早速午前三時半頃高知まで電話してききましたところ、Tさんは 御年配ですのでFさんをさとしながら電活をしたことでしょう。最後に「武田支部長は何もいってはいなかった」とおっしゃってくれたそうです。私達はTさんだけは本当のことを云ってくれる人だと信じてました。

 

長岡さんには全く私達家族に身に覚えのない事を数限りなく陰で云われて参りました。「学会の時、聖教新間のお金を使い込んだ人だ」とか又「妙信講の本部より旅費の出ているにもかかわらず四国方面を廻っていなかった」とか、申しわけこざいませんが妙信講からは一銭もいただいてはおりません。決して楽な家計ではありませんでしたので恥しい話ですが片道切符であとで広島より帰りの旅費を電送しました。このようにして東京に主人を送り出したこともありました。


或る時には四国まで行く旅費しかもたせなかったので十二時十二分広島着の便で主人が広島通過することを知っておりましたので九州に向う主人に九州までの旅費を息子にもたせ、駅で発車するまぎわに手渡したこともありました。これもすべて正しい講中であると信じていたし、信じようとしていたからでした。又浅井さんが武田に百五十万円も貸しているとか云っているそうですが、一円も借りた覚えはありません。

 

本当に骨を拾ってあげるといってくれた人でしたら十二人の支部長の中のただ一人の地方の支部長がこんなに悩んでいるのにFさんに対し一言「私は長岡を信じます」とのみ云ったきりで、当人の云い分を全く聞かず、うそ八百をならべる方を信じ、真実を求め、浅井さんを信じ命を賭している人に対しては一言の真相もきいてくれようともしない、という体質を見せられたとき、幸いにして私達親子は誰が語るともなくこれは仏道修行をして行く団体とは思えないという、詰論が出ました。そして即座に妙信講を脱講することに決意をかたくしたのです。

 

しかし、そうは云っても私達は悩みました誰を信じていいか。ただひたすらに大御本尊を仰ぎ奉り日蓮正宗の信徒として仏道修行をして行きたいものだと思い、なにもかにも第一歩から新たな気持ちで進もうとちかい、日蓮正宗の御憎侶様におききしたならば一番よくわかると思いましてお電話で失礼とは存じましたが勇気をふるい起してお電話をさしあ げたのです。

 

そうしましたら、身の危険もかえり見ず広島まで単身おこし下さいましたそのお姿には 感無量でした。そこには打算のない純枠なものでした。私達迷っている親子にただただ大聖人様の仏法のお話を通して説得なされ、あたたかく日蓮正宗の信徒としての道を開いて下さいました。私達は廻り道ばかりして参りましたがこの御僧侶様にお会いするべく廻り道をして来たよう思われてなりません。

 

前途多難とは思いますが富士の大御本尊様を仰ぎーつーつ体験し、そして必ず本当の御奉公の出来る私達に成長して参ります。

 

(破邪新聞 第17号 3ページ)