日寛上人 戒壇の「事」「義」 1

先日の投稿に更にTwitter上で反論が入った。

先日の投稿はこれ

先日の記事に対して顕正会員さんから反論がありましたので、更なる反論を試みたいと思います。先日の記事はこちら 顕正会員さんの反論Twitter上における顕正会員さんの主張は以下の通りです。(なおアカウント名は伏せさせて頂き...

ハッキリ言って戒壇の「事」「義」の立て分けに関しては15年も話し続けているがゆえ、もういい加減うんざりというのが本音である…。しかしながら顕正会員の99.99%はたぶん理解できていないであろうと思うので気を取り直して話してみたいと思う…。

こんな気持ちも引きずりながら…、筆も重いが頑張ってみたい…。

Twitterでの反論

とりあえずどんな反論だったかを確認されたい。

なおアカウント名は削除しておいた。

以上が一連の反論である。また別の方からも以下のように反論が投稿された。

「事」と「義」は比較相対の表現

上記反論では「文底秘沈抄」「報恩抄文段」「法華取要抄文段」の3つに関して述べられているが、これら各御指南の解説をなす前に全てに通じる基本的考え方に関して確認していきたい。

戒壇の「事」「義」を正確に理解するためには以下の2点を必ずおさえなければならない。

1. 「事」「義」というのは比較相対の表現であること。

2. 日寛上人は「義」との表現を多用されるが、その「義」とは何を比較の物差しとした「義」であるかをその都度明らかにすること。

たった2点であるが、これで全てが矛盾なく捌けるのである。まずは1点目の『「事」「義」というのは比較相対の表現であること。』からいってみたい。

顕正会の誤りの根本原因

現在顕正会員が教科書として学んでいる「基礎教学書」には「事」と「義」の意味合いについて解説された箇所は無い。しかしながら以前の「折伏理論書」には以下のようにある。

まず戒壇の事と義とはどういう意味かといえば、事とは事相(事実の姿)、義とは義理(道理としてその意義がある)の意である。

すなわち、大聖人が三大秘法抄等に御遺命された本門戒壇は、広宣流布の時が至って始めて“事実の姿”として建立される。ゆえにこの御遺命の戒壇を事(事相)の戒壇というのである。

(折伏理論解説書 改訂版 127ページ)

このように定義されている。これはこれで間違いでは無い。実際に文底秘沈抄においてはこの物差しで「事」と「義」を説かれている。

しかしながら日寛上人はこの物差しのみをもって戒壇を論じてはいないのである。よってこの赤字で抜いた「事とは事相」のみに考え方を固定化してしまうと、日寛上人の御指南全てに矛盾を生ぜず、かつ一切欠減なく会通することが不可能になってしまうのだ。

しかしながら顕正会員はこの物差しのみであると固執する。

結果として我々法華講員からその矛盾点を指摘され論破されてしまうのである。

顕正会員が日達上人の御指南を理解できず「御遺命を破壊した」と洗脳されてしまっている根本原因の一つがまさにここにあるのだ。

浅井さんも実は理解していた

この「事」と「義」は比較相対の表現であることを御隠尊猊下は以下のように述べられている。

ここで少しく事理のたてわけについて一言しよう。

仏教における事理の名目は多岐多端であるが、一般的には理論と実践、真理と事相、抽象と具体、心法と色法、教理と仏身その他を 含む相対的法相・法義の意味を判じあらわすのである。

(本門事の戒壇の本義)

これだけを読むと顕正会員さんからは「それは宗門の己義だ。」とか返ってくるかもしれないが、かつては浅井さんもこれを理解していたのである。

次に「事の戒壇」の定義について確認をしておかねばならない。その故は、昨年五月の学会総会に於て、猊下が「正本堂は事の戒壇である」と仰せられたことに就き、”猊下も既に御認承”と、かえって誇称するを屡々聞く故である。総会に先立って森田副会長に念を押した憂いの一つはこれであった。

申すまでもなく、猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。従来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。

此のことは、昨年四月二十七日の大客殿に於ける御説法に明かである。

(「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う)

だが、学会で従来用いて来た「事の戒壇」の意味は宗門古来よりの定義に準じている。その定義を以て「正本堂を事の戒壇」と断定するから仏法の違背というのである。

(中略)

定義はそのまま宗門の伝統である。だが、この定義を以て「正本堂を事の戒壇」とする所に重大な誤りが生じたのである。この誤りを改めもせず、たまたま猊下が仰せられた別意に約し給う「事の戒壇」を隠蓑として、依然として過去歪曲の主張が通用するごとく内外に見せかけているのは狡知としか云いようがない。

(「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う)

どうだろうか、浅井さんの主張は現在の日蓮正宗僧俗が言っていることと全く相違が無いのではないか。

上記の「学会」を「顕正会」に置き換えれば当に現在の顕正会員さん達の姿にも重なってしまう。

このように当初は浅井さんもまた正論を述べていたにもかかわらず、破門されたがゆえに今度は180度転換して学会の口真似をするようになってしまったのである。このことを現役顕正会員は真摯に受け止めなければならない。

比較する物差し

物を「ハカル」

小学校のある教室で先生は生徒たちに言いました。

「明日は物の大きさをハカリますので、皆さんそれをハカルための道具を持ってきてくださいね。」

次の日、その教室ではちょっとしたパニックが起こりました。

メジャーや定規を持ってきた子と、ヘルスメーターやクッキングスケールを持ってきた子とに分かれてしまったのです。

これは先生が悪いのか、それとも生徒が悪いのか…?皆さんはもうお気づきですよね。

上記の先生の言葉では単に「大きさ」としか言ってません。それが長さを「測る」のか重さを「量る」のかがハッキリしていないのです。

日本語は難しいですね。二つの物を比較するにも比較する物差しには何種類も存在するのだということ。それをハッキリと認識しなければ出て来る答えはトンチンカンなものになってしまうということ。こういったことを理解できましたでしょうか?

ニワトリと卵

ここにニワトリの卵とウズラの卵があります。

二つを並べて「どちらがニワトリですか?」と質問したらどうでしょう。

皆さん大きい方の卵を指さしますよね。

次に「コケコッコー!」と鳴くトサカの生えたニワトリと、ニワトリの卵を並べて同じく「どちらがニワトリですか?」と聞いたらどうでしょうか?

よほど性格のひねくれた人でない限りはトサカの生えた大人のニワトリを指さすはずです。

実は戒壇の「事」と「義」もこれと同じ理屈なんですね。卵はニワトリそのものではありません。しかしながらお母さんのおなかの下で温められるという縁があり、やがてヒヨコとなり、そして大人のニワトリと成長していく。

この卵を割ってみても中身は白身と黄身しか見えません。しかしながらそれらの中には将来立派なニワトリとなる全てが詰まっているわけです。クチバシもトサカも純白の羽も…、それらは既に具わっている。それを我々は認識しているからこそ卵のみの比較の際にも大きい方を指して「これはニワトリだ。」と断言するわけですね。

この二回の比較にはそれぞれ別の基準で両者を比較しています。最初の卵同士の比較では「同じく鳥の卵とは言ってもそれがニワトリの卵なのか、それともそれ以外なのか。」が比較する物差しです。次の成鳥のニワトリと卵の比較では「どちらがニワトリとして完結した姿なのか。」を比較の物差しとしているわけです。

そして大事なことはニワトリの卵はウズラとの比較では「事」とされていても、成鳥との比較では「義」とされるということなのです。

比較するには必ず物差しが存在する

このように二つの存在を比較するには必ず両者をハカル物差しが存在すること。そしてそれは目的によってその都度的確な物差しをもって為されることが顕正会員の皆さんにも理解できたであろうか?

「事」「義」とは折伏理論書に書いてある「事相に約して」の物差しのみで説かれているのでは無いことを次回は述べてみよう。

長くなったので本日はこれまで…。

ご質問お問い合わせはお気軽にこちらまで…。

コメント

  1. ドモン より:

    虫払会に来てましたので、件の書籍買って帰ります(“`д´)ゞ

    • トチロ~ より:

      良いお天気でよかったですね。桜もちょうどいい具合なんでしょうね。

      スケジュールが結構タイトなので帰りの運転はゆっくり安全運転で家路につかれてください。

      またお会いできる日を楽しみにしております。

    • 匿名 より:

      私もお虫払法要登山中。今さっき御影堂から退出したばり、報恩坊1f広間で蒲団敷き終わり天井見てます。報恩坊って二階建てだったんですね。

      玄関上がって左窓際に有る箱に無地の封筒が一杯あり、それに御供養入れて御宝前に奉呈致しました。

      今日は丑寅勤行切符は貰えず、代わりに朝の御開山御講の参加になりました。

      • トチロ~ より:

        法要参加ご苦労様です。

        報恩坊の広間は100畳ありまして、ワンフロアーに80人宿泊できるそうです。それが二つですから160人が収容人数ですね。

        御講の前日なんかは報恩坊の信徒さんは前泊させて頂いて翌日御講に出たりするのですが、将来はこの2フロアーが講員さんで一杯になるくらいに増えたら嬉しいな…、なんて考えてます。まだまだ道のりは遠いですが…。

        御影堂の御講に参加されるのですね…。朝食を摂るタイミングが難しいですが貴重な機会ですから是非とも功徳を積まれてください。

      • nsh より:

        >報恩坊って二階建てだったんですね。

        てことは、東京第二の方ですか?
        私はその二階に東京第二の三箇寺支部の方々と一緒に寝させて頂きました。
        私も報恩坊が二階宿泊部屋があるとは今回初めて知りました。

        1階は宿泊者全員で食事する間となってましたから
        布団を敷くのが遅くなってましたが、2階は御開扉から戻って間も無くに
        布団を敷き始めて時間まで寝そべってリラックスしてました(笑)

        衆会の御開山御講だったので朝の御経の導師は代理の方でしたね。

        • トチロ~ より:

          今回はご縁のある方が多数報恩坊を宿坊とされていたようで不思議な感覚です。

          御虫払いは春季総登山と違って会場が御影堂や客殿、大講堂と北側に偏っていますので報恩坊からは移動距離が短くて楽だったのではないでしょうか?

          また皆さまとお会いできる日を楽しみにしています。

  2. 石山巌虎 より:

    なかなか大変ですね。

    • トチロ~ より:

      はい…。

      三重秘伝抄の序文ではありませんが、私も戒壇の「事」「義」に関しては結構書き散らかしているもので、ここで一旦整理をするには良い機会かもしれないなと前向きに考えるようにしております。

  3. nsh より:

    先日メールさせて戴いたnshです。
    実は、御霊宝虫払いは故あって個人的に遠慮して、
    御虫払いに参加したことがない方々に参加の席を譲り続けて幾星霜、
    既に25年にもなりましたので、此の度、久しぶりに申込を致しまして、
    25年ぶりの御霊宝虫払い登山となりました。

    縁ですかねえ、今回他の地方部はどうだったかは存じませんが、
    我が地方部は男性女性それぞれ宿坊が違いましたが、
    我が地方部の宿坊は東京第二と同宿で〝報恩坊〟で、
    我が地方部は東京第二の三箇寺支部と共に二階が宿泊部屋でした。

    トチロー様とお会い出れば、とも思いましたが叶わず下山致しました。

    下山しましたらですね、
    先日、3人で我が宅を襲撃した顕正会員かどうかはわかりかねますが、
    私らが居ない時分に顕正会員が来たようで、
    ポストに最新号の〝顕正新聞〟が投函されてました(笑)

    まあ、読んでみれば相も変わらずの内容で浅井くんの矛盾だらけの駄文に
    げっぷが出ました(笑)

    この法界に於いて、主体者が〝ダレ〟なのか考えれば
    「国立戒壇」が如何に曲解迷釈による誤りなのかは幼稚園児でも理解できるものを
    それが理解出来ずにチン論チン説チン義劇場を演じている痴論でした(笑)

    広宣流布の対象が〝全人類〟と述べてるかと思えば、
    〝日本国〟一国に限定してコジツケているのに会員相手であれば
    ダマせると見越して浅井くんは稚拙な妄言を吐いているのです。

    それで終いには「阿部日顕に公開対決申し入れ」というタイトルを付けて
    「逃げた逃げた」と書き連ねるに至っては大嗤いしました。

    今度御山に登らせて戴いた際にお会いできればと思いますが、
    今回、宿坊を知らされたのが前日夜でしたので次回御都合の宜しい時にと思います。

    • トチロ~ より:

      nshさんへ

      法要への参加お疲れさまでした。

      私は今回は参加していなかったのですが、そのうち本山行事でお会いできるのではないかと思います。ちなみに夏期講習会は1期に参加予定です。

      ところで、最新号の顕正新聞はまだ見ていないのですが、御宗門誹謗がヒートアップしているようですね。

      けど藪蛇になるかと個人的には思います。平成16年から御隠尊猊下の呼び捨てを始めて翌年には「対決申し入れ書」などの攻撃をしましたが、結果的にはその頃より大量の顕正会員さんが法華講員となってしまい顕正会の弱体化に拍車がかかったように思えます。

      浅井さんもご高齢ですからいつ何があるか分かりません。これだけ御宗門を攻撃してこちらが本気になって反撃しはじめた矢先にその日が来てしまったらどうするのでしょうかね?

      後に残された会員さんたちはオロオロと逃げまどうばかりで、最終的には跡形もなく一掃されてしまうのではないかと思います。