法体に約した戒壇の立て分け

先日の記事に対して顕正会員さんから反論がありましたので、更なる反論を試みたいと思います。

先日の記事はこちら

顕正会教学部が末寺訪問の際に伝家の宝刀のごとくに提示する文章に「御宗門のHPの記事」というのがあるらしい。私もそれを改めて拝読したが、一見すると彼らが主張するように日達上人が述べられていた法体に約しての立て分けを表とする『戒壇の大御本尊の御

 顕正会員さんの反論

Twitter上における顕正会員さんの主張は以下の通りです。(なおアカウント名は伏せさせて頂きました。)

以上の三点に関して一つずつ説明していきたいと思います。

事中の事理に関して

まず第1番目の戒壇の大御本尊様の御在所も嫡々書写の御本尊の在所も共に事の戒壇となることを矛盾とする反論に関して書いてみたい。

事の一念三千の法体とは

彼は冒頭「 【戒壇の大御本尊様】が【文底下種・事の一念三千の法体だから】だと言う。 」と言っているが、そもそもこの「事の一念三千」とはいかなるものかと言えば、三大秘法抄に「大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり。」(新編1595ページ)と仰せの法体のことである。

「御相伝に云わく『明星が池を見たもうに日蓮が影即ち今の大曼荼羅なり』」(三重秘伝抄 六巻抄 30ページ)

と日寛上人仰せの如く、この法体を御本尊として顕されたのが戒壇の大御本尊様であり、 当家法則文抜書 の

末法の本尊は日蓮聖人にて御坐すなり。然るに日蓮聖人御入滅有て補処を定む、其の次々々に仏法を相属して当代の法主の処に本尊の体有るべきなり、此の法主に値ふは聖人の生れ替りて出世し給ふ故に、生身の聖人に値遇し結縁して師弟相対の題目を声を同く唱へ奉り」(研教 9740ページ)

ならびに文底秘沈抄の

「 今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり。」(六巻抄 66ページ)

等で確認できるように、 代々の御法主上人猊下が所持される御内証を御本尊として顕されたのが嫡々書写の御本尊となるのである。

ゆえに彼がその次に申すところの「 ならば【嫡々書写の御本尊様】も【戒壇の大御本尊様】の【御内証】を【写した】御本尊様ですから【在々處々】も【事の戒壇】と成ってしまいますよね。」との言はまさにその通りであり、何ら問題は無い。しかし彼は「 此れ【矛盾】です。 」と否定する。これは「事」「理」との言葉がどのように使われているかに迷いを生じているゆえに起きる批判なのである。

事と理

これは何を以て比較対照されているかを考えなくてはならないのである。「事の一念三千」に対するのは天台の「理の一念三千」である。更に大聖人は 本因妙抄に「迹門をば理具の一念三千と云ふ、脱益の法華は本迹共に迹なり。本門をば事行の一念三千と云ふ、下種の法華は独一本門なり」(新編 1678ページ)として釈尊が説いた法華経文上の本迹二門は共に迹門・理の一念三千となって劣り、大聖人の文底下種の事の一念三千の南無妙法蓮華経こそが最勝真実の法門 とされている。

このように比較する物差しが種脱となれば戒壇の大御本尊様のみならず嫡々書写の御本尊の御在所もまた「事の戒壇」となるのである。したがって何ら矛盾は発生しえないのである。

法華取要抄文段の「 当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ則ち事中の事理にして述門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。」(文段 542ページ)この赤字の部分が当に彼の反論に対する答えである。迹門の理戒に対すれば本宗における御本尊はすべからく事戒にあたる。しかしながらそこには「根源たる戒壇の大御本尊」と「枝流たる嫡々書写の御本尊」の立て分けが自ずと存在するということをここで述べているのである。

つまり、比較するための物差しが違ってくれば事になることもあれば義になることもあるということを現役顕正会員さん達は知らなくてはならないのである。

法体に約しての捌きは日達上人の己義か

次に彼は「法体に約しての立て分け」は日達上人が初めて言い出された己義であるかのような発言をされているが、これもまた顕正会での書籍でのみ学んでいる方々が陥る思い込みなのである。取り急ぎ日寛上人ならびに大聖人様の御指南からそれをみてみたい。

本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、道理なり。亦義の戒壇と名づけん。謂わく、戒壇の本尊を書写して之を掛け奉る処の山々寺々家々は皆是れ道理の戒壇なり。「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」等云云

次に事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。外の十六四十一に御相承を引いて云わく「日蓮一期の弘法、白蓮阿閣梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と云ふは是なり」〔一六七五〕云云

重々の道理あり。予が文底秘沈抄の如し。

(報恩抄文段 下末) (御書文段 469)

これは報恩抄文段であるがここでの立て分けは法体に約してのものである。また法華取要抄文段の

亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。

然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。

妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云

(法華取要抄文段 御書文段 543)

この部分は法体に約しての立て分けである。この後に「次に正しく事の戒壇とは」として広宣流布後の御遺命の戒壇建立について言及されるが、「正しく事の戒壇」と仰せのようにこの一節の前には「御遺命の戒壇に準ずる事の戒壇」が示されていることは言うまでもない。それこそが法体に約しての事の戒壇のことであり、赤字で示した通りに本門根源たる事の戒壇への登山参詣の大事を述べていらっしゃるわけである。この御指南からも日寛上人の心の中には法体に約しての事・義の立て分けが基本としてあられたことが理解出来得るのである。

日蓮大聖人御指南

以前あるブログで「宗門の戒壇義はメチャクチャである。なぜならば法体に約しての立て分けなど存在しないからである。あるならば御書をもって証明せよ。」(趣意)なる主張をされている方がいた。これは一見するともっともらしく聞こえるが少し勉強している者ならばへそで茶を沸かしてしまうレベルのものである。以下にそれを論じる。

上野殿

「かゝるいと心細き幽窟なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。神力品に云はく「若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、乃至般涅槃したまふ」云云。此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が、心中の熱気を除愈して充満其願如清涼池とうそぶきしも、彼此異なりといへども、其の意は争でか替はるべき。彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。

(南条殿御返事 新編 1569)

非常に有名なお言葉であるが、このお手紙を頂いた上野殿は建治元年(一二七五年)十月に大聖人より御本尊を賜っている。つまり自宅には御本尊様がご安置されているのであり、それを踏まえたうえで病に伏せている上野殿に登山せよと御指南されているのである。

言うまでもなく自宅の御本尊様安置の場所は義の戒壇である。一方で大聖人様の御在所は事の戒壇にあたる。法体に約しての事・義の差が無いのであれば「自宅の御本尊にひたすら唱題をしなさい。」とのお言葉になるのではあるまいか?しかし大聖人様は「事の戒壇たる身延へ詣でよ。」と命令されているのである。このお言葉を素直に拝するならば、大聖人様のお考えにもまた法体に約しての事・義の立て分けが厳と存在していたことは想像に難くない。

阿仏房

この上野殿と同じことは阿仏房の行動からも読み取れる。阿仏房もまた御本尊様を頂いていた信徒である。しかしながら高齢でありかつ佐渡という遠隔地から三度にわたって身延へと登山している。これは何を意味しているのか…。大聖人様が佐渡配流の際に阿仏房は直接のご指導を受けているわけであり、たとえ難しいことは理解できなくとも根源たる仏様の御在所と我が家の御本尊様との違いは理解していたのであろう。ゆえに高齢ならびに距離というハードルをも乗り越えて霊山たる身延の地へと足を運ばれたものと拝する。

このように大聖人様のお言葉自体に「事の戒壇」との直接的な表現は存在しなくとも、法体における根源と枝流との区別を行間から読み取ることは可能なのである。したがって「法体に約しての立て分けを日達上人が初めて言い出された。」というのは明らかなる誤解であり、日寛上人の御指南にはもちろんのこと、その考え方は大聖人様御在世当時から既に存在したとみるべきである。

法華取要抄「根源と枝流」

最後に

【日寛上人】の【根源と支流】の御指南は… 【広宣流布後】に於ける 【嫡々書写安置の處】が【支流】 【本門寺の戒壇堂】が【根源】 との御指南ではないでしょうか?

であるが、確かに法華取要抄の当該部分を一見するとそのようにも見える。「亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」の「広宣流布の時至れば」が、この比較相対は広宣流布後の時点を指していると感じてしまうのも無理は無いかと思う。

しかしながらそのあとの文を読み進めるとそうではないことがハッキリとしてくる。

亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり

然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。

妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云。

(法華取要抄文段 御書文段 543)

「義理」が受ける「事」とは

上記の黄色のマーカーで示した「義理の戒壇」に相対する「事の戒壇」とは本門戒壇の本尊所住の処である。これは素直に読めば単純に法体の相違を示しているものに過ぎない。ここにおいて戒壇の大御本尊を指して「義の戒壇」と仰せであれば話は違ってくるが、上記部分には一切そのような表現は無い。つまりここでは嫡々書写の本尊安置のところを「義の戒壇」とし、戒壇の大御本尊所住のところを「事の戒壇」としているのである。

「安置」と「所住」の意味すること

次に緑のマーカーを注目していただきたい。嫡々書写の本尊に関しては「安置す。」と表現しているのに対して戒壇の大御本尊に関しては「所住の処」との表現になっている。嫡々書写の御本尊に関しては広宣流布以前であろうが以後であろうが直ちに本堂や持仏堂へ安置できるわけであるが、戒壇の大御本尊に関しては御遺命の上から広宣流布以後でなければ安置すべき戒壇堂は建立できない。つまり広宣流布以前であるならば、文底秘沈抄に仰せの如く「本尊所住の処、義理は戒壇にあたる」との意から「所住の処」との表現しかでき得ないのである。もしこれが彼の主張の如く広宣流布以後のことを申しているならば、「本門戒壇の本尊安置の処、即ち是根源なり。」とならなくてはいけないのである。しかし日寛上人は「嫡々書写」を「安置」、「戒壇の大御本尊」を「所住の処」とハッキリと区別して述べられている。よってこれは広宣流布以前の立て分け以外の何ものでもないことが明確に認識できるのである。

「今日本国中の…」

更に赤字で示した「今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し」であるが…、説明するまでも無いと思う。ハッキリと現在のことを仰せになっているわけであり、広宣流布以後の立て分けをここで述べているのならば、この一節は意味不明の代物になってしまうのである。

結論

これらの理由により日寛上人の御指南に「法体に約しての立て分け」がしっかりと述べられていること、かつ日達上人が初めて申し出だされた法義ではないことをここに証明するものである。

非常に長くなってしまったが、以上をもって「法体に約して」の顕正会員さんの反論に対する返信とさせて頂きたい。

ご質問お問い合わせはお気軽にこちらまで…。

コメント

  1. 石山巖虎 より:

    拙ブログにも言及されていますが、けっこう面倒臭い議論ですね。わたくしはツイッター上での議論をまったく知らないので、その点は割愛しつつも、後日、拙ブログのほうで何かしら書かせていただくかもしれません。

    • トチロ~ より:

      たしかに面倒くさいです。

      一口に「戒壇の事・義」の立て分けと言っても、日寛上人は

      1.安置する建物があるやなしや(本尊所住のところ義は戒壇)

      2.根源と枝流(法体に約しての義理)

      3.広宣流布の前後(事相に約しての義理)

      の三つの比較相対をしているわけで、それぞれに物差しの違う「義理」を仰せになり、それに相対する「事」は何を指すのかを行間から見定めていくのですから、折伏理論書の三大秘法の図だけでは説明しきれないと思います。

      ブログの更新楽しみにしております。