とうとう本性を顕した浅井さん

これだけ顕正会の御生骨観に対して批判しているにも関わらず、浅井会長の耳には届いていないようで、あくまでも当初の予定通りに御生骨内拝を利用して自身の神格化を図るようですね…。

御生骨を実際に拝観している我々法華講員にとっては何ともバカバカしい話ではありますが、このようなデタラメな話を真に受けて正法誹謗に拍車をかけ、堕獄というゴールへのラストスパートをする気の毒な顕正会員さんを一人でも多く救うべく、更なる御生骨に関するお話をさせて頂けたらと思うものです。

現役顕正会、厳虎さんのブログより

顕正会ウォッチャーならば言わずと知れた現役顕正会員でもある厳虎さんのブログに以下のような記事がありました。

今回は支隊長からの投稿である。埋もれさせてしまうのはモッタイナイので、全面的に紹介させていただく。

2016/8/23 11:59
投稿者:なまけもの支隊長
6000万人の地涌の菩薩の棟梁であられる先生のご内証とは、果たしていかなるお方か。
これが集会のテーマです、最近の。

そして、すばり日蓮大聖人ではないか。まさに現代の大聖人と仰ぎみるべきお方。

幹部の口コミで、繰返し語られてます。実際に。
聞いててうんざり。バカすぎて。

終わってるの?この団体?

(中略)

いわゆる内部の口コミ指導でどれほど過激なことが言われているのかは、実際にその場に立ち会わない限りはわからないことである。しかし、顕正新聞を読むだけでも、その片鱗は充分に窺える。

今日は第1385号からその証拠を収集しよう。

六千万の大聖人様の本眷属、地涌の菩薩を率いて御遺命成就に立たれる浅井先生の重きお立場を思うほどに、(総男子部長)

 大聖人様が御遺命成就への最後の戦いに召し出だされたお方は、孤高の激闘を重ねられた浅井先生ただお一人であります。(総合女子部長)

先生により始めて末法下種御本仏の三徳も、三大秘法も顕われること、先生とはいかなる御方かと(第二十四女子部長)

 そして正系門家が危急存亡の時には必ず英邁な御方が出現される、(男子部総務)

世界でただお一人、大聖人様と血の通われた仏弟子たる浅井先生だけが(男子部第二十隊支隊長)

当初は浅井さんの親族でもある幹部だけが行き過ぎた発言をしていたわけですが、ここにきてそれ以外の人達も同様の発言をするに至っております。これはかなり危険なレベルに来ているのではないでしょうか?

これが新聞紙上だけでなく、実際の現場でも確かに起っているというのは最近ブログを立ち上げた元顕正会隊長のSOPHさんのブログでも確認できました。

元顕正会隊長SOPHさんのブログ

最近顕正会を脱会されて法華講に入られたSOPHさんのブログ記事についたコメントで注目すべきものがありました。

班長会に出てきました 最上位総部長が、 守護付属は在家になされたとセンセイがご指導されました、経文にとかれた在家を率いる唯一のお方Aセンセイに師事できた我が身の宿縁… みたい話をしてたんで、耐えられなくて班長会の席から飛び出ました 幹部はなにも知らない最近の入信者だから何の疑問も待たず、宿縁?に感激していました

確かに守護付嘱は在家にされていますけどね…。それは別しては国王になされたもので、国王の権力をもって守護すべしというのがその根底にはあるんです。ですから日本の国王は天皇陛下であるという大前提をとる顕正会では上記のような発言は矛盾をきたしているのですよ。天皇陛下を差し置いて浅井さんが国王になってしまっている…。

更に言うならば、守護付嘱以外にも弘宣付嘱、伝持付嘱というものがあるんです。

つまり、守護付嘱はその中心として国主に授けられてはいますが、一方で弘宣付嘱、伝持付嘱は二箇相承をもって日興上人に付嘱されているわけです。

当然のことながら、日興上人にとどまらず代々の御法主上人猊下はこの任に当たっていると捉えるべきでありましょう。

すなわち、別して与えられた国王への守護付嘱は、それをもって御法主上人猊下を凌駕するものではなく、ただ単に在家としての役目からその任に当たっているに過ぎないわけであり、御法主上人猊下には弘宣伝持という大事な役目が付嘱されているのだと知るべきであります。

筑波会館御入仏式における浅井さん講演

幹部たちが行き過ぎた発言をしていたとしても、彼らが勝手にこのような発言を繰り返しているわけではありません。

そこには必ず浅井さん本人から、そこに誘導するような発言があるわけですね。

そこで最近の顕正新聞を読み返していたところ、以下の記事に目が止まりました。

この大慈大悲を偲び奉れば、自然と「有難い」「お慕わしい」の心が湧いてくる。これが恋慕渇仰であります。

仏様が宿って下さる

この信心を以て、大聖人様の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉れば、「名は必ず体にいたる徳あり」(十章抄)で、我ら凡夫が大聖人様と一体にならせて頂ける。我ら凡夫の心に仏様が宿って下さる。仏様が宿って下さったら、もうただの素凡夫ではない。

ゆえに現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、後生も大楽を得る。まさに現当二世に救われるのであります。

いま顕正会員は、大聖人の仰せのままの信心をして、仰せのままの功徳を頂けること、何と有難いことかと、私はいつも思っております。

坊主の不信心

六月の総幹部会で、宗門末寺の一住職の、何とも呆れた言動が報告されましたね。

広宣流布・国立戒壇も信じない、御生骨も信じられないという坊主。これはもう信心がないのです。

だから大聖人様の御命に繋がってない。大聖人様から見れば、彼らは赤の他人なんです。こういうのは成仏できない。

いま顕正会員は血の通った仏弟子であるから、「御生骨」の大事を聞いて直ちに「大聖人様は生きてまします」と大歓喜し、語り合い、それを他人にも教えている。

宿縁のある人はそれを聞いて感激して入信する。あるいは信じない人もある。

もうすでに「時」が来ているから、前もってこれを教えていいのです。

もし反発するなら、うんと反発させておいたらよろしい。
御生骨が光を放ち給う時には…
だが広宣流布して大光明が放たれるとき、疑いの心が強かった者ほど、ひっくり返って驚くでしょう。

本当ですよ。バタッ、バタッとひっくり返る(大笑)。広宣流布になったら地震が起きるかもしれない(大爆笑)。

疑いが深ければ深いほど、信ずる心も強くなる。そこに六千万が一時に信ずるということがあるのです。
菩薩界の悩み
職業坊主の頭にあるのは寺の収入だけ。顕正会はおカネのことなど眼中にない。ただ悩みとするは広宣流布の前進だけですね。

この悩み、三悪道の悩みではない、菩薩界の悩みです。こんな贅沢な悩みはない。

そこにいま私たちは本当に有難い。広宣流布以前に御生骨のことで大歓喜できるのは、血の通った弟子だからです。
信心なき者は赤の他人

大聖人様の御命につながらなければ、成仏は叶わない。赤の他人です。

ゆえに生死一大事血脈抄には

  「信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり」と。

 大聖人様と血が繋かっていなければ、たとえ御本尊を持っていても無益であるーーーと仰せ下さるのであります。

(顕正新聞 平成28年7月25日号 2ページ)

これは今年の7月10日に筑波に於ける浅井さんの講演ですが、「とうとう出たな…。」というのが私の率直な感想です。この最後の青字で示した部分は正に学会がニセ本尊を正当化するために為した論法と同類であり、とうとう浅井顕正会も同じ道を歩みだしたと決定づけるものであります。

御生骨に絡めて自身を神格化し、

末寺の御僧侶との法論の結果を都合よく改ざんし、

信心の血脈があれば何でもOK!

ってな具合に誘導して、

最後には本尊偽造も正当化してしまう腹なのでしょう。

寿命の残りもあとわずかになり、

いよいよその踏み出してはいけない領域に足を踏み入れた浅井さん…。

申し訳ありませんが、その誑惑の全てを破らせて頂きたく存じます。

次回より順を追ってお話ししていきましょうね。

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顕正会版日寛上人御本尊をお持ちの方へ

顕正会版日寛上人本尊は本物とは紙質が相違します。

顕正会版は現代の製法で作成される紙を使用しています。

昭和30年代当時の紙を再現するところまでは、さすがの浅井さんでも不可能だったのです。

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