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正本堂=御遺命の戒壇 の完全否定

顕正会(妙信講)が破門された理由が単なる破和合僧であり、御遺命を護ったがゆえでないことは今まで見てきました。

しかしながら、その暴走を誘発したのは「正本堂が将来御遺命の戒壇に昇格する可能性がある。」といった一点であり、“御遺命の戒壇を広宣流布以前に前もって建てても良い。”という考え方はやはりまずいことなのです。

そこにこそ妙信講破門のデリケートな部分があるのであり、また浅井さんがその後にこれを利用して自身の謗法を隠し多くの会員を扇動できた理由が存在するのです。

それではこれから時代を追ってこの点を振り返ってみましょう。

顕正会が主張する「御宗門は御遺命を破壊した。」との根拠は、言い換えるならば、「正本堂を御遺命の戒壇と定義づけた。」ということに他なりません。

しかし、御宗門は正本堂が御遺命の戒壇であると本当に言い切っていたのでしょうか?

本来ならば“時代を追って”とは、過去から現在に時の流れを下りてくるのが一般的でしょうが、とかくこの問題は過去になればなるほど複雑になり、その判断も日蓮正宗の信徒としての在り方…、すなわち化儀抄や日興遺誡置文を基とする山法山規をも判断の基準として、当時の浅井さんの行動に非は無かったのか?と考えていかなければなりません。
それだけ複雑になってくるのですね。

よってこの問題に関しては現在から過去へとさかのぼってみることに致しましょう。
まず、御当代の御法主日如上人猊下が正本堂に関して何か申されているかと言いますと、そのようなお言葉は全く存在しません。正本堂自体は平成10年に解体され、その後先代の御隠尊日顕上人猊下の時代にそれに関する一切の清算は終えているのですね。

それでは直近での正本堂に関する御法主上人の御指南は?といいますと、平成16年の8月に開催された全国教師講習会における御講義が当にそれにあたります。

そして、この御講義の後は日顕上人にあられても、御当代の日如上人猊下にあられても、一切正本堂に関してはお言葉を発せられていないわけです。

つまり、この御講義での御指南というものが現在の御宗門における公式見解そのものであり、全てはこの御指南に沿って判断していくべきものでありましょう。

この御指南は顕正会の方ならよく御存じだと思いますが、浅井さんが当時の御法主上人である日顕上人猊下に宛てて「対決申し入れ書」なるものを送付いたしました。それに対応して過去から現在に至る正本堂問題について猊下が御講義された、いわば正本堂問題の総括ともいえる内容です。顕正会では総幹部会等でこの時の猊下のお言葉をごくごく一部分だけ取り上げて揶揄しておりましたが、全文を読まれた方もまたほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。

この正本堂問題を踏み込んで考えていく上においては、相当の資料がこの御指南の中には隠されております。

まだ全文を読まれていない顕正会の方においては是非とも読んでみてみてください。

第五十三回 全国教師講習会の砌(前編) 平成16年8月26日

第五十三回 全国教師講習会の砌(後編) 平成16年8月26日

この平成16年の御隠尊猊下の御講義には以下のお言葉があります。

「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども」

この赤字で記した部分は、学会を破門した直後にも否定された事柄です。すなわち広宣流布以前に御遺命の戒壇を建てておくという考え方の完全否定であります。

妙信講が昭和47年の訓諭に異議を唱えたのは、まさにこの部分なのですよね。

広宣流布以前に御遺命の戒壇を建てても良いとすることは、どう考えても大聖人様の御心に反することは当然のことです。

もし、それを認めてしまえば大聖人様の御心に反するだけでなく、正本堂自体が御遺命の戒壇になり得ることになってしまう…。

それを浅井さんは猛然と抗議していたのでしょう。

そしてこの一番大事な点について御隠尊日顕上人猊下は、平成16年の御講義では顕正会の主張と同じくこれを否定しております。

つまり、現時点において顕正会の主張するような御遺命破壊の姿など日蓮正宗には無いというのが事実です。

顕正会の皆さんにはまずこの点をはっきりと認識していただけたらと思うものです。

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