顕正会員のための易しいQ&A

僧俗間の異体同心について書いている途中ですが…、

「あんたのブログはあまりにも複雑すぎてよく分からん…。」

との声があちこちから聞こえてくるもので、しばらくは過去に書いた比較的分かりやすい記事をとりあえず再掲いたします。僧俗間の異体同心、その他御生骨についてなど書きかけの話は随時アップしていきますので、何卒よろしくお願い致します。

まずは顕正会員さんが抱く基本的な誤解についてQ&A方式で書いた過去の記事です。

顕正会は大聖人様の教えを正しく行じている?

Q1 顕正会は大聖人様の教えを正しく行じている唯一の団体である。

A1 それは大いなる間違いです。正しくやっていないから昭和49年8月の時点で解散処分を受け、浅井会長をはじめ33名の幹部が除名処分を受けたのです。(詳細は大日蓮昭和50年1月号2~3ページに該当処分者の名前がのっております。)


“大聖人様の仏法を正しく行じている”とは、“大聖人様の教えに一言一句違わずに行っている。”とも言い換えられると思いますが、これに関して顕正会員の皆さんは異存はありませんよね?

そして皆さん“現在でも顕正会は大聖人様の教えに一言一句違わずに行っている。”と思っていらっしゃることでしょう。しかしながら現実は違うのです。顕正会は大聖人様の教えに違反することをあまりにも多くやっております。

“大聖人様仰せの通りの信心”では無いのです。まずはこの点をハッキリと認識する必要性があります。これはよく指摘されることですが、顕正会では以前に顕正会版の御書を発刊すると宣言致しました。しかしながら未だに発刊されず、それどころか、この御書発刊という宣言をした事実ということも、会員の記憶の中からもまた消えてしまいそうになっております。結局、顕正会で御書を発刊出来なかったのは、編纂するだけの人材がいないという現実的な面のある一方で、御書を自由に会員に拝読させてしまうことは、顕正会の誤りもまた会員に知らせてしまうことの諸刃の剣であることに浅井会長は気付いてしまったのでしょう。

それだけ御書には顕正会の誤りを指摘出来る御金言が沢山存在するということなのです。

顕正会員の一番の誤りとは何かお分かりになりますか?

それは大聖人様から日興上人、日興上人から日目上人、日道上人…、と現代に至るまでの68代の御法主上人猊下に伝わる御内証が、大聖人様の御内証、戒壇の大御本尊様の御内証と而二不二(二つであって二つでないということ)の御尊体であり、その御内証の上からの御法主上人猊下の御指南に異議を唱えるということは、即、大聖人様に御法門上の異議を唱えると同義であるということなのです。

つまり、顕正会(当時は妙信講)が解散処分され、首謀者が除名されたのは、この日蓮正宗信徒として決して侵すべからず領域に踏み込んで一切の反省が無かったからなのです。

大聖人様の御眼から見れば、“顕正会は大聖人様の仏法の一番大事な部分を破壊した大逆賊の団体である!”と言うのが正しい見解なのです。

顕正会は御遺命を護った…か?

Q2 顕正会は御遺命を護ったのである。ゆえに正しい団体なのである!

A2 結論から申しますと、“御遺命が破壊されたという事実はございません。破壊されていないのですから、“護った!”という主張は成立致しません。”これが正しいのです。それでは詳細を見ていきましょう。

たしかに創価学会は正本堂を御遺命の戒壇としたかったのは事実でしょう。けれども御宗門がこの学会の意向と同一であったとは言えません。

事実を時の経過と共に見ていきます。

日達上人は昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会において、

「ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の中でも須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでこざいます。」(大日蓮昭和四十年三月号一一頁)

と、正本堂建立がただちに御遺命の達成ではないことを御指南されております。ただ、当時は宗門全体が、創価学会の猛烈な勢いと、その風潮の中にあったこともあって、正本堂が御遺命の戒壇であるという認識が全体を覆っていたのは事実です。ゆえに昭和四十二年の様々な発言が存在するのです。ただし、ここで一つ言っておかなければならないのは、妙信講もまたその例外では無い!ということなのです。おそらく顕正会員は浅井会長と妙信講だけがそれに反対していたと思っていることでしょう。しかしながらこれは全くの幻想です。当時においては妙信講もまたそれに足並みを揃えていたのです。以下はその証拠となる浅井会長の発言です。

「あの巨額の浄財にしても、全信徒が、大御本尊の御為と思い、事の戒壇と信じ、更には猊下の訓諭あればこそ実に雪嶺に身投げる思いで持てる蔵の宝のすぺてを抛ったものではないか。その真心は聞くだに目頭が無くなる。」(富士第139号【「正本堂」に就き宗務御当局に糺し訴う】 39ページ)

どうでしょうか?浅井会長もまた、当時においては正本堂が御遺命の戒壇であると皆が認識していたことを自覚しているのです。しかしながら、現在ではそのようなことは隠して、御自身だけは当時からその間違いに気付いていたような言動をしております。けれども、その妙信講自体が正本堂の御供養に参加してしまっているのです。ここに完全なる矛盾が生じているのです。ハッキリ言いまして、この昭和四十年~昭和四十五年の間の批判を浅井会長には言う資格は無いのです。

そのような流れの中で日達上人は昭和四十五年四月六日の御虫払会の御説法において、

「有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります。」(日達上人猊下御説法七頁)

として、“広宣流布は未来のことである”という事を明確に仰せになり、現在建立中の正本堂を直ちに御遺命の戒壇とみることを否定いたしました。その流れは平成10年まで続き、そして正本堂自体は解体されました。

この昭和四十五年四月六日を境に御宗門からは正本堂を御遺命の戒壇と見る空気は一掃され徹底化されました。そして、その認識は現在でも変わらず続いているのです。従って冒頭に申したように“御遺命が破壊されたという事実はございません。破壊されていないのですから、“護った!”という主張は成立致しません。”これが真実なのです。

訓諭が御遺命破壊の証拠…か?

Q3 昭和四十七年四月二十八日の訓諭が御遺命破壊の証拠だ!

A3 まずはこの訓諭の全文を読んでみて下さい。

訓諭

さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はこゝに五箇年を経て、その壮大なる勇姿を顕わし、本年十月落成慶讃の大法要を迎うるに至る。

日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代に誠証となす。
正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。

即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。

然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。

宗門の緇素よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成落慶に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。

右訓諭す。

昭和四十七年四月二十八日

日蓮正宗管長 細井日達

顕正会ではこの訓諭の前半部分「~本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。」で文章を止めて、この訓諭が完全に正本堂を御遺命の戒壇と言い切っているような印象を会員に刷り込んでおります。ここが顕正会の洗脳のポイントです。

しかしながら、現実の訓諭はそれ以後も続きます。即ち、「但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」として、“現在は未だ広宣流布にはなっていない。ゆえに奉安形式は今までと変わらず、公開もしないならば須弥壇は蔵も形式をとるのである。”として、正本堂が御遺命の戒壇であることはハッキリと否定されております。

ですから、この訓諭を持って“正本堂を御遺命の戒壇と定めた”との浅井会長の主張は間違いであり、かつこの後段を意図的に顕正会員の目に触れさせようとしない浅井会長は非常に卑怯なのです。

顕正会は正々堂々…か?(訓諭小細工編)

Q4 顕正会は正々堂々である。訓諭に関する小細工はしていない!

A4 それは洗脳に染まってしまった目には何も真実が映らないだけです。それでは、主だった顕正会の書籍の訓諭に触れている部分を比較検討してみましょう…。

*折伏理論書改訂版234~235ページ

写真入りにもかかわらず写真も「~本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。」以後は写していない。

*顕正会の歴史と使命76~77ページ
同じく「~本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。」の一部分のみの写真紹介である。

*御遺命守護の戦い112ページ
全文の写真公開はしているものの、写真には強調したい部分を線で囲み、かつ写真下には大きな活字で一部分のみをピックアップし、顕正会員の眼をごまかす。

*何故学会員は功徳を失ったか78~79ページ
やはり「~本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。」の一部分のみの写真紹介である。

*「学会・宗門」抗争の根本原因152~153ページ
これも「何故学会員は功徳を失ったか」「顕正会の歴史と使命」と同じ写真を使用。「~たるべき大殿堂なり。」で引用は終了。

*日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ189ページ
写真の掲載は無いものの、「~本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。」で文章の紹介は終了。

以上のようになっております。どうでしょうか?全てが神経質な程に後段の「但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」というお言葉には触れておりません。実はここが大事なのです。冒頭の訓諭全文を通して拝読してみれば、正本堂は深い意義をもって建てられるのではあるが、“現在は未だ広宣流布では無い。ゆえに今ままでの形式と何ら変わるものではない。”ということが一目瞭然なのです。

この訓諭は非常に短い文章です。何もわざわざ切り文をせずとも、全文を公開したらよろしい。それがここまでしつこく後段を表に出さないのは何故でしょうか?このように浅井会長は自身に都合の悪い文章は顕正会員に決して見せないという体質を今でも持ち続けています。ですから、顕正会員は限られた資料、浅井会長の都合の良い資料の中だけで正邪を判断するから大いなる判断の過ちをするのであります。

まずは、手を加えていない資料を数多くあたり、その中から真実を究明すべきでしょう。されば、あなた方の取るべき道は一つしかないことがご理解出来るはずです。

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