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顕正会 浅井会長の自語相違(第一回正本堂建設委員会編)

先に顕正会員さんへの質問と称して、「顕正会「試練と忍従」の歴史」と「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」との浅井さんの自語相違を指摘したわけですが、他にも浅井さんが正反対のことを述べているものがあるのです。

特に破門以前のものは気持ち良いくらいの正論を吐いているのですね。破門以前の正論と180度変わってしまった「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」ですが、実はこれは3級試験の出題範囲になってしまっているのですよね…。

今回3級試験を受ける方はこの後紹介する破門以前の浅井さんの文章を心肝に染めて拝読して下さい。そして試験に於いては破門以前と破門後両方の解釈を書くと良いですよ。たぶん、「おぉ!!!!こいつはよく勉強している!!!」といって100点満点ではなく、200点くらいくださるのではないでしょうか?(^^)

それでは「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」との違いを見ていきましょう。

破門前と破門後の180度相違する解釈

先日も紹介した

「だが、これより九ヶ月のちに開かれた第一回正本堂建設委員会における細井管長の説法により、正本堂は突如として“御遺命の戒壇”と、その意義が変更されたのであった

(中略)

この伏線があって、翌年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における説法となる。この細井管長の説法は、正本堂を御遺命の戒壇と決定する理由を述べた、最初で唯一の説法であるから、ここにその主要部分を上げる。」

(「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」20~21)

の後に、浅井さんはこう述べております。

「教義上の誤り指摘がこの章の詮ではないから要点のみにとどめるが、この説法の欺瞞は二つある。

一つは、御遺命の「本門寺の本堂」と、百六箇抄の「本門寺本堂」とは、まったく同じものであるにもかかわらず、細井管長はことさら一般信徒の耳なれぬ「本門寺本堂」を強調して、「本門寺の中に戒壇堂を設けるのは間違い」などと云って、本門戒壇の建立を否定している。」

(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む23~24)

ところが、昭和45年の浅井さんは、

「未来の大本門寺に於ける戒壇の相貌をこの段に明し給う。所謂、本門寺の戒壇は小乗・迹門のそれと異り、特別な戒壇堂を設けるにあらず、大御本尊まします本堂即戒壇なりと。而してこれを証するに百六箇抄の二文を挙げ給う。

但し、ここに大注意を要す一事あり。猊下の御意を歪曲する者はこの百六箇抄に於ける「本堂」を即いまの正本堂と為す。これ誤りの中の誤りなり、法義の歪曲これより生ず。猊下のここに説き給うはあくまで来来広布の暁に於ける大本門寺の本堂なること文に在って分明なり。」

(富士 139号 31)

と言っているのですね。「猊下の御意を歪曲する者」とまでバシッと言い切っちゃっているのです。

当に現在の浅井さんがこの「猊下の御意を歪曲する者」に他ならないのですが…。

顕正会員の皆さん、この浅井さんの発言を読んでどう感じましたか?

そして、二つ目は、

「二つには、百六箇抄の「本門寺本堂」とは、当然広宣流布の暁に国家的に建立される「本門寺本堂」すなわち本門戒壇であるのに、細井管長は広布以前に建てた大石寺の正本堂が、あたかもそれに当るかのごとく思わせている。」

(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む 24)

とのことなんですが、昭和45年の時点では、

未来大本門寺の本堂に準じて、現在大石寺に於ても御安置は本堂がふさわしき旨をこの段に仰せ給う。但し、ここに仰せの現在の本堂とは即ち時を待ち秘蔵する蔵の意なり。応に知るべし。猊下の仰せは、時来るまでの、大御本尊まします蔵は即ち本堂、すなわち義の戒壇なりと云う事なり。故に本堂御安置の例を御在世に取り給う。更に云く、「御入滅後は御本尊のおわします所が本堂」と。御意明らかなり。」

(富士 139号 32)

と、このように述べているのです。つまり猊下は御遺命の戒壇ではないと言っていると浅井さんは主張しているのですよ。

それではこのような邪義を言い出したのはいったいどこの誰なんでしょうか…。

 「正本堂が事の戒壇である事は、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会に於ける日達上人の御説法に依って決定された、と学会ではしきりに強調している。」

(富士 139号 30)

と浅井さんは証言しております。

つまり、現在の浅井さんはまたまた学会の二番煎じをしているんですね…。

いやはや何とも恥ずかしいものですね。

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『正本堂』に就き宗務御当局に糺し訴う

前項に於いて「破門以前の文章」として紹介したものは昭和45年に浅井さんが御宗門に対して提出した「『正本堂』に就き宗務御当局に糺し訴う」の一節なのです。

この書の一部に浅井さんは第一回正本堂建設委員会における御説法の会通をしております。

その解釈はまさに正論と呼ぶべきものなのです。

しかし、破門された現在となってはいささか都合が悪い…、

ってなわけで、今では180度正反対の解釈を「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」には書いて会員さんに刷り込んでいる訳ですね…。

それでは、その「『正本堂』に就き宗務御当局に糺し訴う」における、第一回正本堂建設委員会に対する浅井さんの会通の部分、「七、御当職上人も事の戒壇と仰せ給わず」を紹介いたします。

現在の顕正会の主張とは180度違うことを述べておりますので、現役会員さんは驚かれると思います。しかしながら破門以前はこのように正論を述べていたわけですね。つまり、現在の浅井さんの宗門誹謗は、未だ宗門復帰が叶わない顕正会を正当化する、「ためにする誹謗」でしかないということです。

顕正会員の皆さんは何度も何度も繰り返してこの文章を読み込み、自らの進退を考える必要があるかと思います。

七、御当職上人も事の戒壇と仰せ給わず

正本堂が事の戒壇である事は、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会に於ける日達上人の御説法に依って決定された、と学会ではしきりに強調している。されば会長の発誓願文に於ても二カ所、御供養趣意書にも、その他の講演に於ても、至る所で「猊下の仰せに基く」旨の発言が見られる。

しかるに不思議なるかな、いま猊下の御説法をつぶさに拝し奉るに「事の戒壇」なる文字はもとより、その義・意すら見られない。いやむしろ、よくよく拝せば否定すらしておられる如くであられる。ここに猊下甚深の御説法を濫りに会通し奉るは恐れを感ずるが、いますべてを決する鍵は此処に在すことであれば、止むなく重要部分を六段に分け、以て註し奉る。

第一段

「さて正本堂についていちばん重大な問題は、どの御本尊を安置申し上げるかということでございます。過日来いろいろなところで質問され、またこちらにも問い合わせがきておりますが、それに対して、私ははっきりした答えをせず、ばくぜんとしておいたのであります。いよいよ、きょうこの委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたいのであります。」

私に云く、  御説法の始め、まずその意義と目的を宣示し給う。

第二段

「大聖人より日興上人への二箇の相承に『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のための偉大なるご遺訓であります。」

私に云く、   大聖人の御遺命は本門寺の戒壇建立に在ることを第一に示し給う。

第三段

「これについて一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているが、これは間違いであります。堂宇のなかのひとつに戒壇堂を設けるとか、あるいは大きな寺院のなかのひとつに戒壇堂を設けるというのは、小乗教等の戒律です。小乗や迹門の戒壇では、そうでありましたが、末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。よって大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂ではなく、本堂にご安置申し上げるべきであります。それゆえ、百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり』と大聖人のお言葉が、はっきりご相伝あそばされております。また同じ百六箇抄の付文に『日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり』と、こう明らかにされておるのでございます。」

私に云く、未来の大本門寺に於ける戒壇の相貌をこの段に明し給う。所謂、本門寺の戒壇は小乗・迹門のそれと異り、特別な戒壇堂を設けるにあらず、大御本尊まします本堂即戒壇なりと。而してこれを証するに百六箇抄の二文を挙げ給う。

但し、ここに大注意を要す一事あり。猊下の御意を歪曲する者はこの百六箇抄に於ける「本堂」を即いまの正本堂と為す。これ誤りの中の誤りなり、法義の歪曲これより生ず。猊下のここに説き給うはあくまで来来広布の暁に於ける大本門寺の本堂なること文に在って分明なり。猊下自ら「したがって大本門寺建立の戎も」とせられ、またそれを証する百六箇抄の初めの文には明らかに「富士山本門寺本堂」とある。更に「日興嫡嫡相承云々」の聖文また事の広布の暁の大大本門寺(ママ)の本堂を指し給うは言をまたず。されば日応上人は此の文を引き「是れぞ全く吾山に蔵する戒壇の大本尊なり。此れ事の広宣流布の日、戒壇堂に安置し奉るべしとの詔勅なり。故に開山より目師への譲状に“日興が宛身所給弘安二年の大御本尊”との玉ひしは是れなり、乃至宗祖は“日興嫡嫡相承之曼荼羅を一天広布の日には本堂の正本尊となすべし”との玉ひ、又興尊は“日興が宛身所給弘安二年の大御本尊”との玉ふて、両尊異口同音に之を宣言し玉ふ」(辨惑観心抄)と。明文白義天日の如し。

第四段

「したがって、その曼荼羅を現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしいと思うわけであります。戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。また当時は大聖人のおいでになるところが本堂であり、ご入滅後は御本尊のおわしますところが本堂となってきたものであります。そして本堂で御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは、信者だけですから、だれでも直接に御本尊を拝めたのです。したがって今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。」

私に云く、未来大本門寺の本堂に準じて、現在大石寺に於ても御安置は本堂がふさわしき旨をこの段に仰せ給う。但し、ここに仰せの現在の本堂とは即ち時を待ち秘蔵する蔵の意なり。応に知るべし。猊下の仰せは、時来るまでの、大御本尊まします蔵は即ち本堂、すなわち義の戒壇なりと云う事なり。故に本堂御安置の例を御在世に取り給う。更に云く、「御入滅後は御本尊のおわします所が本堂」と。御意明らかなり。

第五段

「ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の中でも須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます。」

私に云く、正本堂即大本門寺本堂・即事の戒壇なり、と誤り解す者あるを慮りて、本堂と雖もなお未だ時を待つ蔵の意、即ち義の戒壇なるを重説し給う段なり。故に文中すでに「まだ謗法の人が多い」「広宜流布の暁をもって公開」「おしまいしてある意義」「御開扉の仕方はいままでと同じ」「蔵の中に安置申し上げる形」との懇ろの仰せを拝す。

第六段

「 正本堂の建立地につきましては「大御本尊は客殿の奥深く安置する」という御相伝があります。乃至、その客殿の前の不開門=勅使門=それから客殿、その奥が正本堂と、理想的な建設となるのでございます。」

私に云く、   此の段は建立の位置に約して正本堂は未だ時を待つ蔵なるを示し給う。釈するするに私の語を用いず。猊下御自らかって仰せ給うことあり。即ち、

「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊様を安置し奉って事の戒壇建立という事になるのでございます。それまでは戒壇の御本尊をおしまい申し固く護る。先師方が客殿の後の奥深くに戒壇の御本尊をお護り申すという事を仰せられて居ります。我が本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後に奥深く戒壇の御本尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁迄はしまっておくということになる。乃至、戒壇の御本尊はどこまでも蔵の中にあるのでございます。誰がみても今の奉安殿は外から見ても立派である。然し戒壇の御本尊様のまわりを御覧なさい、石である。石で囲ってあるきりで蔵ではないか、そこに何を供えてあるか。乃至、樒の花を供えるのが本意であります。奉安殿の中に樒がありますか、ないじゃあないですか。乃至、その樒は客殿にあります。客殿に皆様が勤行において二回目に唱える奉安殿に向かって遥拝するあそこに樒がある。だからこれを以って推して行くと、戒壇の御本尊はどこまでも蔵の中にしまってある。蔵してあって拝むのは外から遥拝する。ただ特別に内拝の為にそば迄行って拝めるというのである。だから今度はその戒壇の御本尊のお出ましを願って始めてそこに本門寺の戒壇建立と云う事が出来上がるのでございます。お出ましは先程から申す所のいわゆる広宣流布の暁である」(大日連一六三号)と。

以って「客殿の億深く」の御意、また前段の「蔵の中に安置申し上げる形」等の御意争うに及ばず。

正本堂の意義を決する御当職上人の御説法かくの如し。ここに思い浮かべるは奉安殿御遷座式に於ける、時の御法主・日昇上人の御説法である。

「血脈付法の法主を継げる日昇之を受納して戒壇本尊奉安殿と名付け、此処に戒壇本尊を永久に安置し奉るなり。時を待つべきのみ事の戎法とは之なりの金言を身に体して、必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。時の法主も一心同体たるべきを確信する」云々と。

時に応じて御宝蔵・奉安殿・正本堂と名は改まり、規模・荘厳は更るとも、厳正の法義いささかもゆるがず、歴代御法主御説法・御当職上人の御説法その規を一にして尊し、ここに自らの為に法主上人の御本意を歪曲する事なかれ。御本意すでに明かである。況や近侍し奉る宗務院教学部長・阿部信雄尊師の証言あるに於ておや。すでに公式の脚発言なれば之を載す。昨十二月二十二日総監殿の代理として見え給う時、御尊師「寡聞の放か」とは断るも「未だ曽って猊下一言も正本堂を事の戒壇とは仰せられず」と、三度に亘って言明し給う。これ猊座を守る御道念より出る勇気の御発言と肝に銘にて忘れず。

以上、法主上人の御本意に準じて我等正本堂を事壇とせず。これ理由の第五とする。

(富士 第139号 30~34ページ)

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なにゆえ自語相違になってしまったのか?

さて、第一回正本堂建設委員会の御指南に対する浅井さんの相反するご意見(自語相違)を比較してみたわけでありますが、当然のことながら日達上人の御指南は昭和40年2月16日に発表されたままであり、その文章が変化したわけではありません。

それなのに浅井さんのそれに対する解釈は180度変化してしまっている…。

これっておかしくはありませんか?

およそ人たるもの、そうそう結論が正反対になることはありません。たしかに時間の経過と共に経験や知識が積み重ねられて、それ以前の自身の考え方や文章が稚拙に感じられ、多少の変化があるのは理解できます。しかしながら、正反対になってしまうというのはどう考えてもおかしいわけです。

日達上人も、

「浅井昭衛のいう内意云々はまったくの虚言であり、訓諭及び説法以外に私の真意はないことを、元妙信講の人々にもはっきり伝えて下さい。それでもなお迷いからさめず、ぐずぐず云うなら、それは本人の自由で、もはやこちらの関与するところではありません。法主の指南がきけず、浅井の指南を聞こうというそういう人は、もはや本宗の信徒と認めるわけにはまいりません。その旨、はっきり伝えていただきたいのであります。」

(法華講青年部お目通りの際の御説法 昭和五十年七月五日)

と仰せになっておりますが、御法主上人としての公式見解は訓諭をはじめとして各御指南に活字として残してあられるのです。その活字が全てであり、そこには時間経過による風化や他からの圧力による訂正、解釈変更などはあり得ないのです。

つまり、日達上人側は一切の変化はないのです。

変わってしまったのは、浅井さんの方なんですね。

それではなぜ浅井さんは変わってしまったのでしょうか?

ここに大聖人様の御金言をみてまいります。

「今の法華経の文字は皆生身の仏なり。我等は肉眼なれば文字と見るなり。たとへば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見、天人は甘露と見る。水は一なれども果報にしたがて見るところ各別なり。此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず、肉眼は黒色と見る。二乗は虚空と見、菩薩は種々の色と見、仏種純熟せる人は仏と見奉る。」

(御書 819ページ)

法蓮抄の一節ではありますが、同じ文字であっても見る側の機根により、受け取り方が変わってきてしまうということでありましょう。

世間においてもそうですよね。

口うるさい上司に怒られても、「あぁ、これは私に成長してほしいと願って厳しく注意してくださるんだ。ありがたいことだ。」と前向きに素直に受け取る人もいれば、「あぁ!うるせえな!!!この野郎は俺を嫌っているんだな。だからこんな嫌味をネチネチと言ってくるんだろう。てめえの言うことなんか聞くか!バ~~~~~カ!」ってな態度で正反対に受け止めてしまう人もいるわけです。

すなわち、受け止める側の機根で評価はガラッと変わってしまうのです。

それでは浅井さんはどうなのでしょうか?

そうなんです。

浅井さんがまだ法華講員だったときは立派なもんだったのです。日達上人の御指南を素直に受け止めて解釈していたのです。しかしながら、除名されたがゆえに、“日達上人憎し!”“御宗門憎し!”との浅井さんの心が、同じ御指南であっても以前とは相違して受け止めてしまうようになってしまったのでしょう…。

そして引いては学会の主張を代弁するような輩に成り下がってしまったのです。

顕正会の皆さん、どうでしょうか?

これが浅井さんの実体であり、あなた方が勉強している浅井教学なるものはすべからくこのひん曲がった浅井さんの怨嫉の心から発生した浅い狂学なんです。

本当に成仏したいなら、一日も早く顕正会を抜けて日蓮正宗にくるべきなんです。

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