顕正会の思い出 9

日曜勤行のこと

ずっと昔、昭和の時代のお話し。

北関東の片隅に、浅井先生自らがいらっしゃって開設して下さった渋川事務所がありました。ちょっとした住宅街の一角で、周りは田んぼと畑というド田舎でした。隣の家とも近くて、勤行していると犬の声が聞こえました。勤行の声がうるさいと近所では迷惑がられていたと思います。

なにより、地方では車が無くては生活出来ませんので、みんなの車の置く所が確保できずに、路上駐車でした。周りの農家や、ご近所様に大迷惑だったことでしょう。畦に片輪を乗せて駐車するものですから、畦が壊れて、何回となく、苦情を言われたものです。農家にとっては最低の若者たちですよね。

若気の至りとしても、世法の面からも、最悪でした。

日曜日の朝は、当時は日曜勤行は8時からの1回だけ。それも一週間遅れのカセットテープから流れる御指導を、いただいていました。

それでも、必死に車を走らせ、なんとか間に合って毎週参加していたものでした。

地方の会合でもない限り、全てが浅井先生の指導でした。

仏法の何たるかを、聞き漏らすまいとメモを取ったり、テープに録音したり、教学に飢えていました。今では考えられないような、御書に因んでの指導だったのです。

月に一回あるか無いかの、先生の代わりの、超レアな男子部長の指導は、心躍らせて聴き入ったものです。

その頃は、まだ、教学と言えるでしょう、御書を真剣に学んでいたような気がします。広宣流布の為に、ちゃんと教学を身に付けておくようにとの指導をされていました。邪教とも、渡り合えるように、いろいろと知識をつけることも、当時の富士に、普通に書かれていました。

やがて、10年以上もの永きにわたり、数々の人材(!?)を輩出した事務所は廃止になり、もっと交通至便な市街地に移転になりました。ご近所の方々は、ホッとされていたのではないでしょうか。

後に、日曜勤行は二回になり、後々同時放送になり、三回まで増えていきました。

ここ何年も、今日は誰かな?と。

段々と、指導でもなんでも無くなって、ただ原稿読むだけのつまらない(失礼(>ω<〃)決意発表になってしまいましたね。

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