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4 「本門戒壇の大御本尊」とはどういうことですか。

 「本門戒壇の大御本尊」とはどういうことですか。

〝本門事の戒壇に御安置すべき究竟の御本尊〟という意味です。
宗祖日蓮大聖人が、弘安二年十月十二日に御図顕された出世の本懐たる大御本尊には「本門戒壇」との脇書きがしたためられています。

この「戒壇」について、日寛上人は『文底秘沈抄』に、「事」と「義」との戒壇があるとし、「義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処」(六巻抄 六一頁)、「事の戒壇とは一閻浮提の人の懺悔滅罪の処なり云云」(六巻抄 六一頁)と指南されています。

すなわち「義の戒壇」とは【各家庭も含めた】本門の本尊安置の所で、その義理が事の戒壇に相当するということです。そして、その根本となる「事の戒壇」とは、宗祖日蓮大聖人が「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり」(御書 一六七五頁)と仰せの、御遺命の本門寺の戒壇堂です。この「事の戒壇」に御安置申し上げる大御本尊でありますから、弘安二年十月十二日御図顕の御本尊を「本門戒壇の大御本尊」と申し上げるのです。

(注)文中の【 】は管理人が勝手につけたもので原本には【 】書きは存在しません。

(「ニセ本尊」破折100問100答 28~29ページ)

管理人より一言

現役顕正会員ならびに元顕正会員にとって一番の関心事はやはりこのページになるかと思います。

よって誠に勝手ながら上記本文には私の独断で【 】をつけさせていただきました。(あくまでも信徒である私個人の見解であり、御住職様のご指導等は一切ございませんのであらかじめご了承ください。)

実はこの書籍は平成6年に発行され、平成21年に改訂版が発行されました。平成6年の初版を初めて手にしたとき私の目はこのページで止まってしまいました。

元顕正会員である私にとっても戒壇の事・義の立て分けは最大の関心事であるからというのが理由の一つではありますが、それ以上に「この書き方は誤解を招く恐れがあるのではないか?」という懸念が起きたのです。

結論から言えば、黄色でマーカーした日寛上人の六巻抄は「事相に約した立て分け」です。当然のことながら緑でマーカーした部分はやはり「事相に約した立て分けの説明」になるのです。

これだけなら全く問題は発生しないのですが、ここに上記の【 】書きの部分を加えてしまうと、「法体に約した立て分け」をそこに混入してしまうわけです。言うまでもなく上記日寛上人の御指南は戒壇の大御本尊様御在所の一か所を取り上げて「事相に約した『事』・『義』を捌いている」わけであり、戒壇の大御本尊様と嫡々書写の御本尊との立て分けは「根源」と「枝流」との表現をもって別個論じられる性格のものです。(法華取要抄文段 文段543ページ上段5~6行目)

そもそも正本堂の一件はこの「事相に約しての立て分け」と「法体に約しての立て分け」を混同して論じたところに騒動の原因があります。当時の浅井さんはその点を突いてきたに他なりません。

ゆえに「正本堂の清算は既に終わった。」と胸を張るためには、この辺りは神経質なくらいに気を遣うべきなのではないかと私個人としては思うのです。

おそらくこの原稿が書かれた当時は「戒壇の大御本尊様おわします処、いつでもどこでも事の戒壇」との意識が強く働いていたものと思われますが、

「戒壇の大御本尊様御在所の一か所を取り上げて、広宣流布以前以降を比較するならば、広宣流布以前は『義の戒壇』と呼ぶべきである。しかしながら、これは「事中の事・理(義)」であるがゆえ、その名に迷う事があってはならない。当然のことながら、嫡々書写の御本尊との比較になれば広宣流布以前以降に関わらず、戒壇の大御本尊様の御在所は「事の戒壇」と呼ぶべきである!

との正しい認識を堂々と表に出すべきかと思うのです。実際に私はこの十数餘年この論法で顕正会員と対峙してまいりましたが、ただの一度たりとも論に詰まったことはありません。全て過去のご指南で斬り捨てられるものです。

「事相に約しての義の戒壇を認めること。」によって、現在の顕正会の主張の穴である「法体に約しての事の戒壇に対する認識を徹底的に攻撃できる。」わけでございます。残念ながら今の状況では、「おたくも混同してるのと違う?」と切り返されるのです。

平成21年の改訂の際は何も内容は変わっておりませんでしたが、今後再版する際にはぜひともこの点も考慮に入れて頂けると最前線で戦う者としてこの上ない悦びでございます。

大変生意気なことを申し上げましたが、顕正会の息の根を完璧に止めるためには絶対に避けては通れない道であると思うがゆえ、敢えて書かせて頂いた次第です。

桜梅桃李

顕正会版日寛上人御本尊をお持ちの方へ

顕正会版日寛上人本尊は本物とは紙質が相違します。

顕正会版は現代の製法で作成される紙を使用しています。

昭和30年代当時の紙を再現するところまでは、さすがの浅井さんでも不可能だったのです。

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