私の理念

私ごとではありますが、先日少しばかり病気を患い入院をしておりました。

気持ちだけはまだ若いつもりなのですが、体は正直ですね…。そろそろこの世に生を受けて半世紀が経ちますので、あちこちガタが来はじめているようです…。

あと30年生きられるのか…、それとも20年くらいでお迎えが来てしまうのか…、それとももっと早いのか…。未来のことは分かりませんが、「ボヤボヤしている余裕はないな…。」ということだけは今回痛切に感じました。

私生活の方は3人の子供のうち2人は巣立ち、あと1人を2年ちょっと面倒見てあげれば親としての務めは終わりますので、「あとは惰性でもなんとかなっちゃうな…。」と軽く考えているのですが、信仰面でも、臨終を迎えるまでに何とか形にしたい願いと言いますか、「理念」ともいえるものを密かに私は持っておりまして…。

今までは胸の中に大事にしまっておいたのですが、そろそろそれを表に出して積極的に動かなければ死ぬまでに間に合わんな…。と気づかされたので、これから少しずつ書いていきたいと思います。

私が死ぬまでにやっておきたいこと

1.顕正会出身者が安心してノビノビと信心できる講中を大石寺内に作っておくこと。

2.御遺命の戒壇の正しい意義と、それにまつわる正しい史実を認識し、在家の立場からそれを未来永劫語り継いでいける人材と講中を大石寺内に作っておくこと。

講中を大きくしたいとか、周りから認められたいとか、そういったことに私は全く関心はないんです。別に小さいままで構わない。ましてや上記の2を現実のものにしようとすれば、未だ正本堂問題の後遺症が残る宗内からは賞賛よりも批判の声の方が大きくなるかもしれません。

けど、絶対にこれは必要だと思うんです。将来の御宗門のことを真剣に考えるならば、今これに手を付けておかなければ、後々絶対に後悔することになると思います。

顕正会出身者はノビノビと信心出来ない環境なのか?

これは私の決意表明であると同時にこれから日蓮正宗で一から信心をやり直そうと考えている顕正会員さんへの呼びかけでもありますので、少し詳しく説明していきたいと思います。

学会出身者と顕正会出身者では気質が違う

世の中には様々な性格の人が存在するように、一切衆生を救わんという目標を掲げる日蓮正宗にも当然のことながら色々な性質の人たちが集っています。

数として一番多いのは学会から戻ってこられた方々でしょうね。正確に統計を取ったわけではありませんが、おそらく宗内の90%以上がそれらの方々なのではないかと思います。

それ以外は代々法華講の方や無宗教だった方、他の宗教から移ってきた方…、当然のことながら顕正会から信徒になられた方も最近は増えてまいりました。

それらの多種多様な信徒さんを導くにあたって、指導教師たる御住職様方は小学校の先生のように…、そこに集う信徒さん達が平均的に理解できるようなお話をされます。

それはそれで問題は無いのですが、小学校を例にして考えるとよく理解できますが、レベルの高い子においてはその授業では物足りない…。勉強の不得意な子からしてみればそのレベルでは何を言っているのか理解できない…。実際にその授業で満足感を得られる子は全体のちょうど中間に位置する数人だけというのが現実かと思います。

それをフォローするためには個別の指導が必要なわけですが、ここで一つ問題が発生するのです。

それは、「その人の心に響く的確な投げ掛けが出きるか否か?」ということなのです。

これは世間でもそうですが、その人が育ってきた環境や、それによって形成された価値観、その人が生まれながらにして持っている気質などによって心が動かされるポイントは違ってきます。

学会出身者は創価学会からの折伏によって心を動かされた方々ですから、そういった価値観を学会を離れた現在でも色濃く残しています。一方で顕正会出身者は顕正会特有の折伏によって心が動いた人々ですから、学会出身者の価値観とはまた少し違っているのです。

ですから同じように接したとしても学会出身者には有効でも顕正会出身者には無効である…、むしろ度を越えれば信心を潰しかねないといったこともあるのです。

しかしながら上にも記したように日蓮正宗信徒の大多数は学会出身であり、その影響は色濃く出ていると感じます。

ハッキリ言って顕正会出身者には住みづらい環境…。これが現在の法華講の偽らざる状況かと思います。そんな中にも顕正会出身者の講頭さん率いる講中や顕正会出身者が数多く在籍する講中においてはそのあたりは相当に改善されているとは思いますが、それを更に特化した講中を私は作っておきたい…。こう考える次第です。

正本堂問題の後遺症

私は顕正会員さんとお話しする際に「御遺命は破壊されていない」という立場で全てをお話しさせて頂きます。

実際に史実をつぶさに確認しても、猊下様が正本堂を御遺命の戒壇と断定したお言葉は一つも存在しません。

しかしながら、悲しいかな妙信講を破門したのち学会を破門するまでの14~15年は戒壇に関しての御指南を回避されたが故、御遺命の戒壇の基本さえも理解していない人々が多くなってしまいました。

法体に約する立て分けと事相に約しての立て分けの区別もつかないレベルの者が、自身の浅識を棚に上げ同胞である法華講員に公衆の面前で噛みついてくるという体たらくを晒しているのですから、本当に恥ずかしく思います。

いくら私どもが心ある顕正会員さんを折伏しても、このような輩が未だ宗内で幅を利かせているようでは「宗門では未だに戒壇建立の御遺命は破壊されたままである。」と言われてしまうわけです。

日達上人は御遺命を傷つけないよう細心の注意を払ってお言葉を残されています。その苦労を無に帰するような行為は厳に慎まなければならないと思います。

ここに来れば「御遺命の戒壇」の全てが分かる

御仏意というものが存在する以上、やがて「邪義」は自然と消え失せ「正義」はよみがえると思います。それを黙って待つのが信徒のあるべき姿というのも分かります。けれども「正しい御遺命の戒壇の意義」が隠れたままの時代を過ごし臨終を迎える人々は本当に幸せなのでしょうか?それはそれで「そこまでの機根の人々だったんだ…。」といって切り捨てることも出来るのかもしれませんが…、もっと他の選択肢もあるはずです。

学会が破門され、正本堂が解体に至り、御遺命の戒壇に関する問題は一応の終息を迎えた現在ではありますが、まだ御遺命の戒壇の正義を全面的に表に出すには憚れる事案もあるのかもしれませんね…。

それはそれとして尊重したうえで、「御遺命の戒壇」に関してもっと深く知りたい方、正本堂問題の真実が知りたい方、妙信講は本当に「悪」だったのか?

このような掘り下げた問題を知りたい方に、その疑問に全て答え彼らを正法へと導く場所が宗内のどこかに一つくらいあっても良いのではないでしょうか。

否、「あっても良い」ではなく、「無くては困る。」といった方が正確だと思います。浅井昭衞さんのお年を考えれば、顕正会崩壊のカウントダウンは始まっています。

「その時」が来れば雪崩を起こしたように日蓮正宗に多くの方が救いを求めてくることは必定かと思います。その時にこちら側の準備が整っていなければ救える者も救えずに終わります…。

御宗門として公にそれが出来ないのならば、信徒がやる…。

我が報恩坊はそういった「顕正会員の駆け込み寺」となりたい…。

これが私の願いです。

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コメント

  1. 化石で未活動からの元顕へ より:

    トチロー様こんばんは。

    入院されてたんですね。
    書き込み少なかったので心配しておりました。

    先ずは退院おめでとうございます。
    無理はなさらず御自愛下さい。

    講は違いますが、自分も賛同いたします。

    そろそろ正本堂の問題は歴史として総括するべき時だと思います。
    客観的な立場から後世へ正確に伝えるべきでしょう。
    それは我々元顕の責任?懺悔?罪滅ぼし?のような気がします。

    顕正会風言うと「果たすべき使命」とでも言うのでしょうか。

    • トチロ~ より:

      化石さんコメントありがとうございます。

      私もこちらに来た当初は「御遺命が生きているならそれで良いのではないか…。」とも思っていました。

      ただ、正本堂問題の後遺症は想像以上に深刻で、「御遺命は広宣流布であり、戒壇建立では無い。」といった意見も根強く残っているようです…。

      大聖人様の御遺命は「広宣流布した後に戒壇を建立すること。」

      広宣流布と戒壇建立は一体であり、別々に切り離して論ずるべきことではありません。「戒壇建立は事相であるがゆえに一重の困難を伴うものである。」との御隠尊猊下のお言葉の真意を彼らは本当に理解しているのか…。大聖人様が広宣流布のみならず、その後の戒壇建立をも後世の弟子檀那に御命令されたことの御意を我々は真摯に考えるべき時が来ているのではないかと思います。

      別にこれをもって宗内の意見の違う人々と喧嘩するつもりはありません。ただ、戒壇建立をも御遺命とされた大聖人様の御心を後世に正しく永遠に伝えていかなくてはならない使命が私たちにはあると思います。

      風あたりは強いかもしれませんが、お互いに頑張りましょう。

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