除名処分の真相

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元妙信講等処分の経過について(抜粋)

顕正会の除名に関しては、当時の大日蓮に宗務院としての文章がありますので紹介いたします。

なお、非常に長いものですので、解散処分、除名処分の部分に限定して抜粋いたしました。

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元妙信講等処分の経過について(抜粋)

本宗は、去る八月十二日付をもって、妙信講を解散処分に付し、更に、十一月上旬、浅井甚兵衛、浅井昭衛ら元幹部三十三名を順次除名いたしました。又、これに関連して、本宗僧侶八木直道を十一月十五日付で擯斥に処し、松本日仁を十一月十八日付で妙縁寺住職を罷免にいたしました。

右各処分に至る経過ならびに事情についてこれまで、浅井らが一方的な宣伝をしていますが、それらは事実を故意に歪曲、ねつ造して宗務院や信徒を非難中傷しており、まことに不都合千万であります。そのために万が一にも誤解を招くようなことのないよう、ここに真相の概略を公表いたします。

(中略)

七、解散処分に至る経緯

これに対し、浅井らは実力行使と称して、宗務院からの再三の制止にもかかわらず、国立戒壇を主張し、宗務院や創価学会を非難中傷する文書の街頭配布を始め、七月二十九日には、明治公園で約千名(妙信講は三千名と称しているが、警視庁調べ及び当方の確認では千百名程度であった)を集めて集会を行ない、引続き四谷駅までデモ行進等を行ないました。又、前記文書をマスコミ関係者、政治家等、宗門外にも送付することもあわせて行ないました。更に、寺院に押しかけ文書の配布や法論の強要等も行ないました。

かかる行為を放置しておいては、宗門の統制がとれず、わずか数干の講中のために、千六百万人の信徒の純真な信仰を傷つけてしまう結果になりかねません。又、放置しておけば、やがて、世間に誤解が生じるかも知れないことも明らかです。

猊下は、かかる状況を御覧になり、いたく心痛されましたが、やむなく、処分をすることを御決意され、正規の手続を経て、去る八月十二日講中解散処分となったものであります。しかし、猊下の御慈悲により、悪いのは誤った指導者であり、元請員は何等の差別を受けることなく信徒として過されるように指定の寺院(常泉寺、常在寺、妙光寺、蓮華寺)に帰属を申し出るように取り計られたのです。

解散処分後も、浅井ら元妙信講の幹部は徒党を組んで反抗的態度を一層明確に示し、文書の街頭配布、宣伝カーやハンドマイクによる街頭宣伝を行ない、あまつさえ、総本山大石寺境内、創価学会本部、各寺院に不法に押しかけて面会強要等を行ないました。又、あらゆる手段を用いて元講員が、宗務院の指示により指定の寺院に帰属することを阻止しました。

猊下におかれては、かかる事態を深く憂慮され、再三、御説法等で元妙信講員らに対しさとされるとともに、二度にわたり、わざわざ御自筆で親書をお書きになり、浅井をはじめできるかぎりの元講員に送付する等、まことに異例なまでに、御慈悲あふれる御配慮を賜わったのであります。 しかるに、浅井等は、これを“どこのだれだか知らぬが、悪筆、悪文で”などとののしるなど(顕正新聞四十九年九月二十五日号、富上四十九年十月号)信徒としてこれ以上は考えられないほどの冒涜と反逆の態度に出ました。

これをもっても、口先では、猊下をお守りするといいながら、それはあくまで口実であり、心中は猊下に対する尊敬心などみじんもなく、ただ、猊下の権威を利用して、宗門を壟断し、自己の野心を遂げようとするみにくい本性が如実に表われているといわざるを得ません。

そして、こうした説得をすべて無視して、浅井らは、昭和四十九年十月四日、元妙信講青年部を使嗾して、創価学会本部を襲撃させるという、言語同断の暴挙に出たのであります。

八、学会本部襲撃事件の真相

この日午後六時頃、鉢巻姿のものものしい元妙信講青年が七~八十名、学会本部の前に金網張りで武装した宣伝カーを押し立てて勢揃いし北条副会長に面会を強要しました。実は、これらの青年は、前夜から当日昼にかけて、浅井昭衛はじめ元中心幹部に学会本部内に乱入する作戦をさずけられていたということです。学会本部では、紛争をさけるためただちに閉門し、四谷署に連絡をとり、間もなく三十名ばかりの警官が到着して警備につきました。警察からは学金側に対し “絶対に挑発にのらないでほしい。我々で警備を引き受けるから建物の外に出ないでほしい”との要請があったので、学会側は、これに従い本部内に残っていた男子職員七十名ばかりで建物の中側で入口を固めていました。

すると、突然、元妙信講青年のリーダーが、「会わないなら、実力で会うぞ」と叫び、これに呼応して、数名が塀や門扉を乗り越えて構内におどり込み、守衛の制止するのもきかず中からかんぬきをあけて開門し、同時に数十人の青年が不法になだれ込みました。警官も、まさかと思うすきをつかれてあっけにとられているうちに、青年達は二手に分かれ、一方はまっすぐ文化会館の入口にかけ上がり、館内に乱入しようとし、他は、案内所の裏側にまわりました。

彼等は建物の入口に到着すると扉を引きあけようとし、中にいた本部職員に制止されましたが、再三あけて入ろうとするので、やむなく、数人で机をたてに押しかえし、そこで更に押し入ろうとする元妙信講青年が暴力をふるったため、もみ合いになりました。やっとのことで大部分を門の外に押し出し扉をしめて、更に構内に残って暴れる十数人を制止しようとしたところ、外にいた青年達は、宣伝カーを三度にわたって門扉に衝突させ、かんぬきをへしまげて押しあけ、再度突入してきて、手当たり次第に暴力をふるい始め、やむなく制止に入った五~六十名の本部職員ともみ合いになってしまいました。

間もなく、青年達のほとんどが、警官と、急を聞いてかけつけてきた機動隊に検挙され、そのうち十人が現行犯で逮捕され、うち三人は、検事勾留されて取り調べを受け、建造物侵入、器物損壊罪で処罰されております。又、更に、礼拝所不敬、強要罪等の罪名で、引き続き取り調べを受けています。(学会側の逮捕者は一人もありませんでした)

このように、まるで血迷ったような浅井らの暴拳でありましたが、一部始終、浅井らに非があることは誰が見ても明らかなのに、これについても、浅井らは“ 先に手を出しだのは学会だ”“わなをしかけられた”“五百人が待ちぶせしていた”等とまるで恥知らずに、見えすいた嘘を平然とついて、盲目にさせられた元講員が離れていくことを防ぐのに懸命であります。又、マスコミに対して、歪曲した事実を、さも真実のように話し同情を買おうと努めておりうっかりのせられた雑誌が浅井の云い分を記事にしたため、後に謝罪文を掲載するはめになり、迷惑しているということもあります。

しかも、浅井らに煽動せられ、暴力行為に参加したものの、取り調べにあたっては、涙を流して後悔した純真な青年もいたということですが、余りにも可哀想であり、このような青年を背後であやつって、自己の野心を遂げようとする者こそ、仏法者の仮面をかぶった魔であると断ぜざるを得ないのであります。

九、除名処分及び其後の状況

こうした事件を起こしては、宗門としてももはや放置しておけず、やむなく、首謀者三十三名を除名処分に付しました。

これに対し、浅井らは、あくまで処分を不当として、法廷で争う構えをみせております。そして、浅井と腹を合わせ、ぐるになった元妙縁寺住職松本日仁と陰謀をめぐらし八百長裁判で、地位保全の仮処分をとり、これを足場に、舞台を妙縁寺に移して、宗門かく乱の策謀を続けています。

こうした状況に、はじめは事情を知らずについていた元妙信講員も次第に愛想をつかしはじめ浅井らの支持者は次第に減少している一方、宗門の通達に従って寺院の所属替えを申し出る者があらわれています。

かつて“一ケ月以内に学会は音をたててくずれる”とか“大聖人の御遺命を実現する者は、妙信講以外にない”と大見得を切っていたのが、今や四百余ケ寺の中のただ一つに必死にとりついて、下劣な策謀をこらしているのですから笑止千万であります。浅井の予言はことごとくはずれて、あてにしていたマスコミものらず、焦りから出た暴力路線によってみずからの首をしめ、残るは法廷闘争とばかりさかんに意気ごんでいますが、浅井らの非道なことは、仏法上既に明らかであるのみならず、やがて、国法上でもはっきりすることであります。

その間、浅井らの天才的な嘘に迷わされることなく、又、その暴力による威圧等に屈することもなく、あくまで猊下の御指南に従って異体同心し、純真な信仰の道を進まれんことを望んでやみません。

(以下略)

(大日蓮昭和49年12月号)

日達上人のお言葉に見る除名の真相

前回は宗務院文書により除名の事実を検証いたしました。

今度は当時の御法主上人猊下である日達上人のお言葉から妙信講幹部除名の意味合いを学んでいきたいと思います。

なお、先と同じく必要部分のみを抜粋させていただきました。

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日達上人御説法  本尊供養御書(抜粋)

結局この、そういう事をいくら言ってもきかない。だからついにこの八月十二日に、妙信講というのを解散を命じまして、日蓮正宗で無くしたんです。

そしたらそれが不服になって、大ぜい人を集めて、学会へ殴り込みをした。まあ、どっかの暴力団みたいに殴り込みをなさって、大聖人様のこの御遭難、災難というものはそんなものではないですね。自分から行くのではない。正しい法をたもっていく、よその人がぶん殴ってくれるんです。そして仏になる。なにも、妙信講の大将が偉いといったって自分が殴ったんでは仏になれはしない。自分はやはり正しいことを説いていればいいでしょう。それを自分のいうことを聞かないからっていって人をひっぱたいたり、殴り込みをしたんじゃあ、これは単なる暴力団に過ぎないということになってまことに残念である。そういう人が正宗の中にいれば世間の笑い物になるわけですね。我々が強く折伏して、人にすすめれば、すぐ暴力宗旨だなんて悪口を言うでしょう。それを自分から殴っていったら、これはこんな大きな暴力宗旨はありはしない。それは恐ろしいことです。

だから、私はどこまでもそういう講中をやめさせたんです。まあ不服に思うのは向うのかってですがね。

まだ、その本部を造ってそこに御本尊を安置しております。それは、妙縁寺というお寺、本所中之郷の妙縁寺の御本尊を、宝物の御本尊をちょっと住職がうっかりしてしまって、前にその理由は十万所帯の人を折伏するから、御本尊を借して下さいというから、まだ、日蓮正宗の一団体であったから、住職が貸したんです。ところが、今度そういうふうにして宗門から破門されたらば、今度は返してくれと住職が言ったら、いや十万所帯作ったら返しますからという。じゃあ謗法の信者を十万所帯作られたらもっと大変な事になっちゃう。早く返してもらってくれというのだけれども、なかなからちがあかないで、困ってしまう。

とにかく、学会の人が今、千六百万人あるようになっております。それに、法華講を加えれば純心なる法華講と昔からの檀家を加えれば、まず千七百万近くなるでしょう。

それに対して向こうは一万二千人だといっています。まあいえばひと握りです。その人に翻弄されておっては仕方がない。困る。みなさんがしっかりした心を持って下さい。今までも、ついひと月の間このお寺の前に来てビラをまいたり、本山へ来て大きな声でビラをまいたり、地方の寺へいってビラをまいておりますが、それはただ、こちらがしっかりしておればこんなことは何でもない。ただ、むこうでかってに金を使うだけのことにすぎない。それで、向うは私のことを逆宣伝してですね、私の心と云う事が違う。それでは私は地獄へ落ちてしまう。そんなことはない。それはある時はそういう国立という事は言ったこともあるけれども、もう今後言いませんと、私ははっきり言っているのだから、嘘、偽りはない。私が言うのだから嘘はない。

何といわれてもこれは今時、国立戒壇などという時代ではないから、どうかみなさんはっきり心においていただきたい。

また、それにこれはまったく申しにくいことだけれども、ある僧侶が、老僧が、この元妙信講へと加担していった人があります。まことに残念である。これはこの今月の十三日に、さきほどの妙縁寺の御本尊において、元妙信講の会館でお会式・御講をする。だからそれを聞いたから、その人が行くということがだいたい想像がついたから、私はその人を本山へ呼んで行かないでくれと、それは宗門で一度破門した所だから、破門した所へ加担することは、これは謗法なんだ。

本山の第九世、日有上人の百二十一ケ条に、ちゃんと我々の修行する道を説かれているのがあります。それにも明らかに書いてあります。破門された人の所へ行ってはいけない。そうすると、共に謗法であるということが書いてあります。

だから、どうか行かないでくれと言った。私はちゃんと対面所の机へ手をついて、衣を着、袈裟を着して頭を下げたんです。実際にどうか行かないでくれと、それなのにその男はついに行ってしまった。行ってから逆に今度は、宗務院や、私の悪口を言っておる。もうたまりませんので十五日にこの人を擯斥しまして、本宗の僧侶の籍を抜きました。抜きましたら本宗の僧侶ではない。そしたらまた、昨日、今日こっちの偉い能化の方々に手紙をよこして、こうだこうだと理屈を言ってきましたけれども、これはもう宗旨が違う。本宗の僧侶でなけりゃあそんなのに答える必要はないといっております。そういう人がたった一人出まして、もしそういう人を首にしなければまた真似して出たらばこれはたいへんなことになる。

大聖人様は、城はやたら落ちるものではない。しかしその中に内応する人があると、城は危ないと城者破城と言っておりますけれどね。城におるものが、敵に内通して必ず落ちる
、どの城でもそうですね。昔、豊臣秀吉はよく城を落としたということは、内応させたのです。それで戦争しないで落としていったんです。大きな堤も、アリの穴から水がもれると同じように、そういう人が気の毒だと思って放っておくと結局宗門が危ない。また、皆さんが一つの団体になっている。和合僧団というものが破られてしまう。だから、気の毒だけれども、今の妙信講も解散を命じ、又その一人の僧も擯斥してしまった。やめさせてしまった。それでも私は個人としては気の毒にたえない。それゆえに妙信講の人々は、妙信講というものを解散したけれども、それに所属している一万二千人がいるというから、本当にそれだけいるかいないかは数えたわけではないから分りませんけれども、それらの人が、個人個人が気の毒だから、どうか二ヶ月の間、十月十二日まで、八月十二日ですから二ケ月我慢、猶予するからどうかこれこれの四つの寺、常泉寺、常在寺、妙光寺、それから大阪の蓮華寺この4つのお寺へ申し出てそこの所属になって下さいということを手紙で通知したんです。こっちは大体わかった人のとこへ通知をしたら、この通知がいけないとまた怒り出した。だから個人個人が気の毒なんですがね、そういう人の団体に入っているから、そうしたのです。その後もう一度手紙を出したらまた怒っている。もう出しませんけど、それでもだめだからついに学会本部へ殴り込みをかけたりなんかしたから、もうこれは堪まらない。

その主な人を三十数名今日、その所属の宗務支院長に命じて、除名の手続きをとってもらったのです。すなわちこの宝浄寺にも十何人います。宝浄寺の支院長からけさ十何人出したはずです。さきほど、教学部長がいったとおりに、本所の本行寺の高野永済支院長からも十七名、千葉の支院長からも二名、それから埼玉から三名、それから群馬の支院長から一名か二名、とにかく三十余名を今日除名するということにいたしまして、まことに気の毒なようですけれども、これはやむをえない。多くの人がそのために邪魔され、信心を妨害され、また、これからの広宣流布の為に妨害されるのじゃあ、もっとより以上のこれは不幸であるからして、それだけ気の毒で、早く反省してもらうのを待つために除名した次第でございます。どうか今後ともそういう人が出て、またいろんなことをやるでしょう。あるいは私なんかひっぱたかれるかもしれないけれども、そんなことはどうでもいいんです。個人個人がたたかれようが、殴られようが、そんなことはかまわないけれども、とにかく大聖人様の仏法の広宣流布を妨害するということは、これほど一大謗法はないはずだから、どうぞみなさんも、しっかり心にとめてそれらに誘惑されないで、どうか信心にはげまれんことをお願い致します。

(大日蓮 昭和49年11月号)

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どうであろうか…、

妙信講解散、幹部除名の真相は、

彼らが“破和合僧”の重罪を犯したゆえなのです!

破和合僧

それでは、「破和合僧」がいかなる結果を招くのかを浅井会長自身の説明でみてみたいと思います。

この無間地獄に堕ちる業因は五逆と謗法に限られる。五逆罪とは、父を殺し、母を殺し、仏弟子を殺し、仏の身から血をだし、正しい仏道修行をしている団体の和合を破る、の五つである。」(折伏理論書58ページ)

と、このように浅井会長は説明されています。

つまり、大聖人様の仏法を唯一正しく護っている正系門家たる御宗門から破和合僧であると認定され、除名処分を受けた輩は、すべからく上記浅井会長の発言通りに無間地獄に堕ちてしまうのではないでしょうか。

残念ながら、道理の上からはそうなってしまいますよね?

そして、そのことを浅井会長自身は十分に承知しているからこそ、御自身が除名処分を受けた謗法者であることを会員に説明できないでいるのでしょう。

それが証拠に、たった一冊の書の一部分を除いては、顕正会の書籍のどれをとってみても、除名処分には一切触れていないのです。

嘘だと思う会員の方は顕正会の書籍をすべて当たってみてください。

参考までに顕正会公式ホームページの該当箇所を載せておきます。顕正会の書籍はすべからくこのように「除名処分」をスルーして会員に教え込んでいるのです。

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解散処分下る

ここについに、解散処分が下った。池田大作と細井日達管長は「妙信講が存在する限り、御遺命破壊の悪事が露見する」と恐れ、妙信講の抹殺に踏み切ったのであった。

解散宣告書は管長細井日達の名を以て発せられた。時に昭和四十九年八月十二日。

処分理由は「国立戒壇を主張し、正本堂訓諭に随わぬゆえ」とあった。

この宣告書を手にしたとき

「大事の御遺命が破壊されんとしているのに、妙信講だけが安穏では、いかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ」との思いが胸に湧いたこと、今でも憶えている。

嵐のごとき悪罵中傷

解散処分にふみ切ってからの細井管長は開き直った。それはまさに「毒を食らわば皿まで」の浅ましさであった。

一例をあげれば、「元妙信講員の皆様へ」と題する直筆の手紙を書いて多くの妙信講員宅に送り付けたり、また本山に法華講幹部を集めて「訓諭以外に私の本意はない。国立戒壇というのは本宗の教義ではない。法華講連合会は妙信講と戦え」などと唆したりした。

同じころ、池田大作は阿部教学部長に二冊目の悪書「本門事の戒壇の本義」を書かせ、これを宗門機関誌に載せさせている。この書は先の「国立戒壇論の誤りについて」に輪をかけた悪書である。三大秘法抄の聖文を切り刻んで正本堂の誑惑を助け、国立戒壇を主張する私を名指しで、「身延系の国柱会・田中智学の亜流」とまで中傷している。

さらに池田は宗門僧侶、創価学会、法華講連合会の三者それぞれの機関に、私を誹謗する決議をさせ、宗内に周知させた。その趣旨は

「猊下の戒壇についての御説法に背く者は、大謗法者である」

というものである。これを承けて、八百万学会員と数万の法華講員は、目を瞋らし歯を剥き、「浅井は猊下に背く大謗法者」と一斉に罵った。

御在世の信心に立ち還る

だが、このような理不尽な解散処分、いわれなき悪罵中傷にも、顕正会は微動もしなかった。この嵐のなか、私は全顕正会員に総幹部会で大号令を下した。

「今こそ御在世の信行に立ち還り、遙拝勤行による死身弘法を開始しよう」と。

並みの信徒団体ならば、解散処分を受ければ潰滅して当然である。まして本山登山も妨害され御本尊の下附もなくて、どうして折伏弘通などできようか。

だが顕正会には、この解散処分を機に、熱原の法華講衆のごとき御在世の信行が蘇ってきたのである。たとえ御登山を妨害されようと、戒壇の大御本尊様への恋慕渇仰の思いはいよいよ純度を増し、遙拝勤行による熱烈なる弘通がここに開始された。このとき顕正会は一万二千であった。

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浅井会長はいかにもいわれなき悪口中傷を受けたかのごとく話すが、何のことは無い、

破和合僧で除名された輩など、まさに

「浅井は猊下に背く大謗法者」

で十分なのであり、そう批判されてもまったく文句のいえた筋合いではないのです。

これはまさに何も知らない顕正会員を洗脳するために為しているすり替えの論法であります。

善良なる顕正会員は今一度、冷静に考えてください。

無間地獄行きの片道切符を握りしめた浅井会長についていくのか?

それとも本当の大聖人様の仏法を求めるのか。

おのずと取るべき道は決まってきますよね。

法廷闘争に関して

さて冒頭で顕正会の皆様に投げかけた質問ですが、「除名処分に触れたたった一か所はどこか?」

見つかりましたか?

ここで種明かしですが、

「『なぜ正々堂々と出てこないのか』と、北条浩を糺弾するため、十月四日男子部幹部数十名が学会本部に赴いたところ、これを事前に察知して待機していた特殊部隊が、一斉に襲いかかってきた。そのうえ彼等は日ごろ馴れ合いの四谷署に通報して、妙信講員が暴力を振るったと偽り、全員を逮捕させた。さらに宗務院はこれを理由に、妙信講の首脳幹部三十三名を除名処分にした。すべては山崎・桐ケ谷等、学会弁護士の悪辣な策謀であった。」

(御遺命守護の戦い199ページ)

とあります。実はこの箇所が除名に触れた唯一の記述なんですね。

しかしながら、先に私が紹介した宗務院文書とは相当温度差がある内容です。

もちろん、浅井さんが言うような側面もあったのかもしれません。

けれども、学会が事前に察知していたとか、そのための準備をしていたとかの問題ではないのです。

自らの主張を通すために暴力に訴え、宗内を攪乱した事実が大問題なのです。

ゆえに破和合僧と認定されて除名処分を受けてしまったのです。

また、上記の文章ではあたかも殴りこんだ妙信講の幹部だけが除名処分を受けたような錯覚を持たせる内容になっていますが、除名処分を受けたのは浅井親子を筆頭に三十三名なのであり、現場に出ていかなかった浅井親子もまたこの暴力事件を教唆した罪で断罪されているのです。

そういった点もまた顕正会の皆さんは冷静に見つめてくださいね。

少し話を進めましょう。

実際に宗務院文書の最後のところにある

「これに対し、浅井らは、あくまで処分を不当として、法廷で争う構えをみせております。そして、浅井と腹を合わせ、ぐるになった元妙縁寺住職松本日仁と陰謀をめぐらし八百長裁判で、地位保全の仮処分をとり、これを足場に、舞台を妙縁寺に移して、宗門かく乱の策謀を続けています。」

といった裁判はありました。その時に御本尊の件や、この信徒除名の取り消しを裁判で争ったのです。

しかし、御本尊の件は顕正会の書籍で話しても、こと信徒除名の件は全くおくびにも出しておりません。

参考までにその件に関して書いた過去の私のブログを転載いたします。

御遺命守護の戦いと比較して読んでみてください。

おそらく裏の話が一つのまとまりをもって見えてくるはずです。

なお、今回の件とは関係ない御本尊様の件も書いてありますが、参考のためにそのまま掲載いたします。

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この昭和49年11月から行われた妙縁寺の住職交代、妙縁寺明け渡しに関して色々と争いがあったようです。しかしながら、これらは全て浅井昭衛氏と松本さんのわがままであり、道理は全く通っていないものでした。

そして、これに関して裁判が行われ、昭和52年4月にその結果が出ました。

この結果によって

1.妙縁寺を完全に明け渡すこと。

2.松本さんから受け取った顕正会が保有している御本尊は妙縁寺に返すこと。

3.浅井昭衛氏は日蓮正宗の信徒である立場を主張しないこと。

以上のような内容が決定したのでした。つまり、浅井昭衛氏は自ら日蓮正宗信徒の立場を捨て(既に御宗門からは除名されておりましたが、それをあくまでも“認めない!”としてきたのが、それまでの浅井の主張です。しかしながら、この和解によってこの主張を取り下げました。すなわち、自ら除名を認め、日蓮正宗信徒である立場をこれ以後は未来永劫求めないということであります。)、さらに本部会館建設時に正式な手続きを踏まずに勝手に松本さんから受け取った御本尊を返さなければいけないことになってしまったのです。

この事実を浅井昭衛氏は顕正会員に正しく伝えてはいないのです。

浅井氏は以下のように都合の良いように書籍に書き散らして顕正会員を洗脳しております。

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始めは、松本御能師にこの御本尊を取り上げさせようと強要しました。だが松本御能師の「妙信講は正しい、そんなことは私には出来ない」との拒否にあうや、大作は直ちに宗門に命じて松本御能師を妙縁寺住職より罷免し、さらに擯斥処分に付した。そしていよいよこの御本尊を、法的手段に訴え、力づくでも奪わんと、昭和四十九年十一月十三日、非道の裁判をしかけてきたのであります。

(中略)

その条件とは、次の三つであります。
一つは、“もう妙信講本部会館の御本尊を奪うなどということは絶対にしない。今後永遠に、この問題で訴訟を起すことはいたしません”と云ってまいりました。

次に、彼らは妙信講が「日蓮正宗」と名乗るのを怨嫉し、解散させられたのだから日蓮正宗と名乗ってはいけない、「日蓮正宗妙信講」と書いてある本部会館の看板をはずせというような訴訟を前々から起しておりましたが、今回“この訴訟も取り下げる。再訴はしない。どうぞご白由に日蓮正宗とお名乗り下さい”と云ってきたのです。

(中略)

それから、もう一つ。新しい寺院(顕正寺)を一つ立てるというのです。これは松本御能師を妙縁寺から追い出した償いとしてであります。

以上の条件を示して、裁判をすべて取り下げてくれというのです。皆さん、どうでしょうか。これはまさに事実上の全面勝利であると私は思うのですが、いかがでしょうか(大拍手)。

(御遺命守護の戦い232~235ページ)

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ここで「一つは、“もう妙信講本部会館の御本尊を奪うなどということは絶対にしない。今後永遠に、この問題で訴訟を起すことはいたしません”」というのは、御本尊を返却することは裁判で決定したのですから、それ以後は黙って待っております。ということであり、返さなくても良いですよ!ということではありません。また、この和解によって、これ以後はこの件で訴訟を起こさないことは双方で取り決めてあります。ですから、真実は“御本尊は全て妙縁寺に返すことに決定した!ゆえに以後は訴訟はおこりません。”というのが正しいのです。

また「次に、彼らは妙信講が「日蓮正宗」と名乗るのを怨嫉し、解散させられたのだから日蓮正宗と名乗ってはいけない、「日蓮正宗妙信講」と書いてある本部会館の看板をはずせというような訴訟を前々から起しておりましたが、今回“この訴訟も取り下げる。再訴はしない。どうぞご自由に日蓮正宗とお名乗り下さい”と云ってきたのです。」というのは、上にも書きましたように、浅井昭衛氏はそれまで日蓮正宗の信徒であると主張し、日蓮正宗信徒としての地位を守るために争っていました。しかし、今回の和解でこれを取り下げました。取り下げるということは自ら信徒でない事を認めることです。されば、日蓮正宗とは無縁の集団ですから、当然に自ら看板を外すべきものでしょう。それが世間の道理というものです。自ら日蓮正宗の信徒では無いことを認め、その上で“日蓮正宗”の看板を掲げているとしたら、これは“詐欺”です。そのようなことから御宗門もこの主張を取り下げたわけであり、それは勝手に名乗っても良いですよ、ということではありません。

また、新しい寺院を一つ建ててあげるなどと言うのは噴飯ものです。これはまさしく松本さんから奪った金で勝手に顕正寺を建てることを意味しているに過ぎないのでしょう。

とにかく浅井さんは大嘘つきです!

顕正会の皆さんは顕正会の本尊は昭和52年の段階で“妙縁寺に返却せよ!”と裁判所で決定されているのだということだけは認識して下さい。

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