正本堂建立時と建立後の意義づけ

前回私は「広宣流布以前に御遺命の戒壇を建ててはいけない!」というのが妙信講(顕正会)の一貫した主張であると述べました。

これは正本堂が建ち上がる前は、

「現在建設中の正本堂は御遺命の戒壇として建てているのではない。」

という主張になります。それに対して御宗門は昭和45年の御虫払いの猊下の御説法により「広宣流布は未来のことである。」として上記主張を認めました。

そして正本堂が建ちあがったあとは、

「この正本堂は現在は御遺命の戒壇では無いという認識であるが、将来広宣流布の暁には御遺命の戒壇に昇格する…。即ち御遺命の戒壇を広宣流布以前に前もって建てておいたのだ。という認識はこれもまた間違いである。」

ということを妙信講は主張していたわけですね。

建設中の主張に関しては、御宗門も全面的にこれを認めて対応されたわけですが、建設後の主張に関してはハッキリとした同意を内外に宣言されたのは学会が破門されてからのことでした。

すなわち正本堂が建ちあがって初めての御開扉申請を妙信講がした昭和48年5月から平成3年までは表向きは二番目の主張を認めていなかったということになるのです。

ここが一番の問題点であり、どのように解釈して腹に落とし込んでいけば良いのか理解するのが複雑で難しいところなのです。

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