衆生と国主の恩

先日の記事に頂いた雲羽百三さんのコメントで以下の記事が紹介されていました。

https://news.goo.ne.jp/article/bengoshi/region/bengoshi-topics-6205.html

素晴らしいラーメン屋のおやじさんですよね…。世の中がこのような人でいっぱいになれば本当に平和な世の中になると私も思います。

先日は親御さんの子供に対する無償の愛情に関して書かせて頂いたのですが、私達は上記の記事のように血のつながりの無い方からも実は支えられて生きているのだということに気が付かないといけないと思います。

ということで、本日は一般の世間様からの御恩と国主からの御恩についてお話させて頂けたらと思います。

一切衆生の恩

またマンガの話で恐縮なんですが…、

先日「どらく息子」という落語家を題材にした漫画が終了してしまいました。その前は「落語心中」という漫画も終わってしまって…。

いやぁ、さびしいものですね…。

落語の話をすると「じじむさい…。」とか、「笑いのセンスが昭和だわ…。」なんてお言葉を頂戴するんですがね…、いやいやどうして、真面目に真摯に真正面から落語を聞くと、その噺の中にこめられた教訓だとか、人情の機微、そして人を引き込む話し方などなど…。

すごく勉強になるんですよね。

大体がですね、お笑いの大御所でもあるビートたけしさんの話し方、間の取り方なんかも古今亭志ん生さんの影がうっすらとその背後に感じ取れるんですよね…。(これは私個人の感想なので他の方は違う感じ方をするかもしれませんが…。)

まぁ、そのような落語の世界への導入部としての落語マンガ…、これが一つ、そして一つと消えていくのは何とも残念なものです…。

ってなことはどうでも良いのですが、この「どうらく息子」は「文七元結」で始まり「文七元結」で終わりました。

何だか「立正安国論」に始まり「立正安国論」に終わる大聖人様の仏法みたいですね…。

って、こんなことを書くと「てめぇ、仏法舐めてんのか!」なんて顕正会幹部のような声が宗内から聞こえてきそうなんですが…。

それはどうでも良いとして…、

始めと最後に持ってくるというのは、それだけ作者が伝えたい何かがこの中にあるということでございましょ?

で、それが何なのか…。

これこそ「情けは人のためならず。」「自らをかえりみず他人様を救うところに道はひらける。」っていうことなんですよね。

まだ聞いたことのない人はこちらをどうぞ


2時間以上の動画になっていますが、文七元結は1時間18分で終わります。お時間と環境が整っているところでご覧くださいませ。

で、話は戻りますが、

この噺の主人公である長兵衛さん…、

見返りをこれっぽちも期待せずに50両という大事なお金を若者に恵んであげた…、

それが結果的に全てが丸く収まる福を招いたということでございます…。

信仰とは全く関係の無い俗世間のお話ではございますが、世間でもこのように見返りを期待せずに施す善行というものは尊く、そしてそれ相応の報いが必ずあるものだよと教えて下さっているのだと思います。

まぁ、これは落語の世界ですから大げさなお話にはなっておりますが、私たちの日々の生活の上に於いても大なり小なり世間様から支えられているのが事実ではないでしょうか…。

毎朝食べる食事を作る人、そしてその食材を売る人、さらにはそれらを畑で作る人…。

多くの方のおかげで命をつなげていけるわけでございます。

その全ての方々に感謝申し上げて「ありがとうございます。」との気持ちで今度は皆様に自分の出来る善行を振り撒いていく…。

これが大事なことだと思うんですよね。

国王の恩

私も含めてですが…、今の日本人には「国王」といってもピンとこない人が多いかと思います。「戦争を知らない子供たち」がそのまま大きくなってしまったのが現代の日本ですからね…。

ですから顕正会員さんとの対論になっても「国主」って誰なんだ!ってえのが論点になってしまっていたりする…。

けどね、これは非常に単純明快なんですよ…、

「天皇陛下が日本の国王であり、国主である。」以上!

これだけです。

「えっ!国主は国民でしょ?」

バカを言いなさんなってんです。国民の総意をもって国の政治が行われるというのが戦後日本の性格であり、その観点から見るならば国主たる天皇陛下に実質的な為政者としての権限が与えられていないのが現代の日本の状況であり、されば大聖人様が遺された御遺命の中の国主に相当するものは現代においては国民一同という解釈になってしまうという意味でしかないのですよ。

そこんところをろくすっぽ考えもせずに国主は天皇か国民かという論議に時間をかけていること自体がおかしいのですね。

まぁ、そんなことはおいといて…、

いま私たち日本国民が戦争の不安も無く日々安穏として暮らせるのも日本国の国王たる天皇陛下の存在があればこそだと私は思います。

以下は終戦後にマッカーサーのもとに天皇陛下が訪れた際のお言葉です。

「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります。しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

涙なくしては拝せないお言葉です…。

その後陛下は戦争で傷つき果てた全国を8年半かけて廻られたと聞いております。その時の陛下と国民との麗しい信頼関係を戦勝国側はつぶさに目に焼き付けたことでしょう…。

これほどまでに国民から信頼されている国主の率いる国家を侵略することは到底出来ることではない…。こう感じたのではないかと私は思います。

そうなんです…。

実は私たちは理解しているいないに関わらず、この天皇陛下という国主の徳に守られて今を安穏として生きているのですね。

ここに深く心をよせ、そして感謝もうしあげること。

これもまた大事な大事なことなのです。

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コメント

  1. いおなずん より:

    今パソコンの調子が悪いので、タブレット端末から失礼します。
    日本国憲法の性格上、国民主権ですから誤解しやすいのですな。
    国主が誰か、重大な問題です。
    “国主この法を立てらるれば“ですからね。

    無事講習会も終わり、この先の信行についての課題や反省点がいろいろ見えました。

    そして、西山食堂の親子丼が意外と美味しかったことも。

    今度一緒にカレーが食べたいな。

    • 桜梅桃李 より:

      夏期講習会お疲れ様でした。

      いおなずんさんもお察しのことと思いますが、四恩における「国王(国主)」と、三大秘法抄や一期弘法付嘱書における「国主」の捉え方には微妙に違いがあると私は思います。

      四恩における「国王」は読んでそのままの国の顔であるトップであり、御遺命の戒壇建立の条件になっている「国主」は“実質上の国政のトップ”という考え方だと思うのですね。

      ゆえに「立正安国論」の対告衆は「北条時頼」になっております。

      この物差しで考えていけば、現代においては四恩を報ずる相手(国王、国主)は「天皇陛下」であり、戒壇建立における国主に相当するのは…、今の日本では天皇陛下単独では何も決定することが出来ないことになっていますから、国の方向性を決定する総理大臣がその最たるものであり、さらにはその人選を左右する国民一同もその範疇に入ってきてしまうという事になるのです。

      これが御遺命の戒壇建立における「国主」のからくりです。この辺りが頭の中で整理されて来れば折伏にも磨きがかかってくると思いますよ。

      あとは、「国主に関して人格の有無(有情・非情の違い)」というものが大聖人様の御遺命の戒壇建立にあたっては認識しておかなくてはなりません。(実は顕正会の浅井さんが勘違いしているのはこの部分です。)これに関してはカレーでも食べながらお話ししましょうかね。

      今度登山した時にあらためて誘って下さい。

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