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噛み砕きすぎて別物になってはいけない。

日蓮正宗の御僧侶方の法話には一つの共通点があります。

それは、

「分かりやすく噛み砕いても、噛み砕きすぎて本質的に別の物にならないよう留意している。」

ということなんです。

日蓮正宗における御住職様の役割

日蓮正宗には全国各地に末寺があります。そしてそれぞれのお寺には御住職様が総本山である大石寺より派遣されています。

この御住職様の仕事の一つに、御法主上人の名代として各末寺の信徒さん方に法を説くというものがあります。御講の席での法話や、お寺によっては定期的に発行される寺報に掲載される御住職様のお言葉がそれに当たります。

この法話をどのようにしたら聴衆である信徒さん方に理解してもらえるか…。

話す側である御住職様は常にこの点に頭を悩ましながら法話の中身を考えていると推察いたします。

比喩の活用

そこで登場するのが「比喩」…。

たとえ話のことですが、このたとえ話を上手く活用して仏法の道理を聞き手に理解させるわけです。

顕正会の皆様でも馴染みのある所では、「爾前経を足場に譬えて、蔵である法華経が説かれた後は足場は撤去しなければならない。」といったものもこれですし、「御本尊様は月であり、我が胸中の池の『信』という水にその姿が映ることが境智冥合の姿である。」というのもまた上手い比喩なわけです。

また、近代においては私たちの胸中に冥伏する仏性を桜の花に譬えた日応上人の比喩や、煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱の三徳と転じる道理を干し柿に譬えた御当職日如上人猊下の比喩などは何とも絶妙な譬えであり、私のような俗世間の垢にまみれた人間にも「なるほど…。」と思わず膝をポン!と叩くような感動を与えてくれるわけです。

この「足場」は御書に「池の月」は文段に、「桜の花」は56世、「干し柿」は御当職、これらの御内証を所持される方々の比喩はそのまんま使って何ら問題は無いわけですが、問題なのはこの比喩でも理解できない人々にどうやって理解させるかなんですよね…。

結局さらに噛み砕いて説明することになる…。

ここが危険なところなんです。

噛み砕きすぎて別物になってはいないか?

人間の機根というのは様々でありますから、御僧侶顔負けの知識や理解力を持っている方もいらっしゃるでしょうし、一方では全くそのような素養のない方もいらっしゃる…。

問題はこの素養のない方にいかにして理解してもらうかなのですが、これがなかなか難しいわけです。池上彰さんのような能力を持っていれば良いのでしょうが、我々凡人にはそこまでの能力もまた無い…。

結果、何とか無い頭を振り絞ってたとえ話を考えるのですが、噛み砕きすぎて本質を見失ってしまうことが往々にしてあるわけですね。

これがいけない…。

本質を見失うくらいならば、噛み砕かずに代わり映えしない難しい話のままお伝えした方が良い…。

間違った考えを元に行動することが不幸の原因になるというのがこの仏法の根源ですから、間違った考えを植え付けてしまう事を一番忌み嫌うわけですね。

こういった価値観が実は日蓮正宗にはあり、御僧侶の法話もまたこの考え方を元にして全てが行われているのです。

信徒も僧侶に準ずるべきである。

一方で信徒は?と目を転じてみますと結構好き勝手にやっております。

ネットでも内外から結構批判を頂戴している方もいらっしゃるようです。たしかに現代の世の中は機根の低い方が多いですから、お公家様のように上品にやっていたのでは埒が明かないというのもまた真実だと思います。しかしながら、相手の誤った考え方は指摘してあげるにしても、品位だけは守っていくべきだとも思いますし、また上記のように日蓮正宗の看板を背負っているならば本質は絶対に変えてはならぬと思うのです。

信徒の立場であっても御僧侶のような心構えで情報は発信していくべきではないかと私は思うのです。

論文とエッセイの立てわけを明確に

最後になりましたが、前回書かせて頂いたように御僧侶の法話はいうなれば「論文」なのです。新聞で言えば「記事」の部分であり、正しい事実のみをお伝えするのがその使命です。ゆえに読者に理解しやすいように噛み砕いても決して事実と相違してしまうような書き方は許されません。

私達信徒の話でも、この「論文」的な内容を相手にお伝えすることも多かろうとは思いますが、その際は御僧侶の法話をお手本として自身の誤った認識を入れずに事実のみをお伝えすべきです。「言い切る。」際は必ず「今書いているのは論文なんだ。」という認識を持って微塵も個人的見解を入れるべきではありません。

一方で、「私はこう考えるんだけどね…。」というようなエッセイ風の情報を発信する際は、全くの逆で良いのではないでしょうか。自分の考えが中心ですから、素直な心情を筆にすれば良いと思います。ただ、品位は必要だと思いますが…。

で、結局何が言いたいのか

「で、お前さんは何が言いたいんだい?」

と思われた方も多かろうと思いますが、まぁ、要はこのサイトは一応公式サイトの手続きを正式にとってはいますが、「公式サイトらしからぬ個人的な考察」というのも少しこれから書いていこうかな…?

なんて考えているのですね…。

黙ってそれをやりはじめるとイチャモンをつけてくる輩も多いので、事前に「そんなことは分かってますよ。」ということをアピールするためにこのような記事をアップさせて頂いたわけでございます。

というわけで、次回から少し電波っぽい記事が連続するかもしれませんが、あくまでもエッセイですから気になさらないでくださいね。

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コメント

  1. 雲羽百三 より:

     こんばんは。

     私は小説形式にチャレンジしてみようと思いましたが、豪快に挫折してしまいましたねw
     何しろ、作者本人が退転しちゃったんですからwww

     でも、宗内には私以外にも、アメブロ会員限定で小説を公表している方がいらっしゃるようです。
     私はアメブロ会員ではないので拝読したことはありませんが、もしかしたら、その方は小説形式で成功されているのかもしれません。
     興味がありましたら、アメブロの中を探してみてください。
     ただ、閲覧はアメブロ会員限定のようですので、全く信心とは関係の無い内容かもしれませんが。

  2. 桜梅桃李 より:

    モモさんおはようございます。

    退転したのは勿体ないことですね…。「事実は小説よりも奇なり。」と申しますが、宗内にいると普通の人間の想像をはるかに超えた事実を目の当たりにします…。それを小説にしても相当に面白いのではないかと…。

    時間が出来たらお食事でもしましょう。また面白いネタを提供できると思いますよ。

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