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なぜ顕正会では「異体同心」を教えないのか

諸天が動くもう一つの条件、「異体同心」。

これについて考えてみたいと思います。

顕正会と日蓮正宗の温度差

「異体同心」

顕正会員さんにはあまり耳慣れない言葉だと思いますが、日蓮正宗に来ると本当にしょっちゅう聞かされる言葉です。これと同じことは双方の組織内でのお話の中に出てくる大聖人様御在世当時の信徒さんにも見ることが出来ます。

顕正会では四条金吾殿に関して浅井さんはよく取り上げますが、日蓮正宗ではあまり四条金吾さんのお話は出てきませんね…、むしろ上野殿(南条時光さん)のことがよく取り上げられます。上野殿の御命日である5月1日には「大行会」と称される法要が毎年行われるくらいですから、どれだけ御宗門として重要視されているかは御理解いただけるかと思います。

このように顕正会と日蓮正宗は基本的に同じ教義の元に信仰しているようでいて、どこに重点を置いているかは実際には微妙に違っているんですね…。

その最大のものがこの「異体同心」だと私は感じます。では、なぜ顕正会ではこれに触れないのでしょうか?

異体同心には御僧侶の存在が必要

以前も書きましたが、この「異体同心」こそ諸天を動かす要であり、非常に重要な教義だと私は捉えています。

しかしながらこの「異体同心」には御僧侶の存在が必要不可欠なんですね。

「広宣流布、一切衆生の救済。」という同じ目標に御僧侶と在家信徒の心がピタッと一致して、かつ前回お話しした「一心欲見仏 不自惜身命」の決意がそれぞれにみなぎったとき…。

その時こそまさに「異体同心」の条件が一つ整ったとみてよろしいのではないかと私は思います。

その観点から顕正会の状況を考えれば…、

皆さんもうお分かりですよね、

顕正会には僧侶はいません。「異体同心」したくても御僧侶がいないのであれば、それは実現不可能なんです。結果的に諸天の御守護も御本尊様の御加護も受けることは出来ない。

それゆえにこれだけ大事な法門なのに顕正会員さんには教えることが出来ないわけなんですね。

次回は「異体同心」出来たときの現証について述べてみたいと思います。

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顕正会版日寛上人本尊は本物とは紙質が相違します。

顕正会版は現代の製法で作成される紙を使用しています。

昭和30年代当時の紙を再現するところまでは、さすがの浅井さんでも不可能だったのです。

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コメント

  1. いおなずん より:

    異体同心の世界は”世法”で考えたほうがわかりやすいかもしれません。
    世法での異体同心とは、違う考えを持つ社員や仲間が一つの目標を成し遂げようとする姿です。

    私は会社で嫌というほど経験しています。

    異体同心しているときはその日の目標を早い時間に達成でき早く帰ることができます。
    そうでないときはいつまでたってもその仕事を終えることができません。

    顕正会時代の異体同心のイメージはそれでした。

    • 桜梅桃李 より:

      いおなずんさんへ

      コメント有難うございます。

      「仏法は体、世間は影」と言いますが、本体自体がいまだ見えない場合に影をもってその実体を推測するというのはあり得る話だと思います。

      ただ、諸天の守護、御本尊様の御加護、法界が動くという現証は世間的な常識や凡人の想像を遙かに超えるものなんです…。世間的な表現で言えば「奇跡」と呼ばれる類なんですね。

      その上でですが、世間では「奇跡」というのは偶然に起きるものであって、意図的に起こせるものでは無いというのが一般的な常識だろうと思います。

      しかし、それは意図的に起こすことが出来る…、その軌跡を起こす方程式がこれだ!という話を今させて頂いているのですね…。

      まぁ、普通の感覚では「相当に痛いおっさん。」にしか見えないかもしれませんが、「それでも諸天を動かすことは出来る!」と私は言い続けるつもりです。そしてそれが単なる私の空言ではないことを報恩坊の中で実証して見せるつもりです。

      まぁ、楽しみにしていてください。(^^)

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