さくら

私の住む地域もそろそろ桜は終わりでしょうか…。

前にも何回か書きましたが、この「さくら」という木の性格を考えると仏性とは何か…。成仏とは何か?ということがハッキリと理解できるんですね。

それでは少し「さくら」について書いてみましょう。

たった1週間の儚い花

日本人ほど桜の好きな民族もいないかと思います。かくいう私も好きですね…。

お酒が無くともあの綺麗な色の花で着飾った桜の木を見ると、何ともいえずウキウキとした気分になってくるものです。

しかし、その花もせいぜい一週間もすれば雪のようにはらはらと舞落ちて、今度は黄緑色の葉が顔を出してまいります。

桜が桜としてその存在を人様にアピールするのはたったの数日間なわけです。

けれども人々はその数日間のために桜を大事に育てるわけです。秋になって幹と枝だけになっても決して切らずに春の訪れを待つのです。

これは桜という木には春になると綺麗な花を咲かせるという性質が内在しているということを人は知っているからなのですね。

あのピンクはどこに?

春になれば桜が咲くというのは日本人としては常識のことですから、冬の桜の枝を切って「ピンク色の花はどこかな?」なんて探す人はいないわけですが…。

実際に切ってみても幹にも枝にも根っこにもピンクの片鱗も無いことは当たり前でして…、

けど春になると綺麗な花が出てくるわけですよ。

これってよく考えると不思議じゃありませんか?

必ず春になると顔を出すんです。けれどもそれ以外の季節は木の中のどこを探しても目には見えない…。

実はこれって私たちの胸中の仏性と同じなんですね。

仏性は目に見えないけど、縁に触れれば顔を出す。

桜が花を咲かせる条件は「春の温かい陽気に触れること。」なんですね。

寒い冬から一転して春の穏やかな陽気が桜の木々に降り注がれると、桜は自然とあの綺麗な花を枝一杯に咲かせるわけです。

どんなに花を咲かせる性質を内在していようとも、春の陽気という「縁」が無ければ桜は花を咲かせないんです。

私達の胸中の仏性も同じなんです。

「仏様」という「縁」に触れることで仏性は仏性としての働きを始め、仏界がはじめて顕われてくるのです。

これが「成仏」であり、私たちがこの一生に於いて求めていくべき境界なのです。

大事なのは本物の「仏様」

人は皆「仏性」という「成仏できる性質」を持っています。

しかし、ただ持っているだけでは何にもなりません。

この「仏性」を「仏性」として働かせることが出来るか否かが大変に重要なことなのです。

ここまで話せば皆さんお分かりになるかと思います。

「仏性」を「仏性」として働かせ、幸せな境界を得るためには「縁」となる「御本尊様」が必要なのです。その「御本尊様」に触れることによって私たちの胸中の仏性は働き始めるのです。

ですから「御本尊様」というのはすべからく「開眼された本物の御本尊様」でなくては仏性は動き出しません。仏性が働かなければ「成仏」もまた望むべくもないのです。

ここに「御本尊様の真偽が最重要事項である。」という日蓮正宗の主張の理由があるのです。

顕正会の皆様、貴方の人生も「本尊の取捨選択」をすることによって、あの満開の桜のような素晴らしい境界が開けてまいります。

是非とも勇気を出してご連絡下さい。

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