法事

法事とは、故人の命日・忌日などに追善供養のため、営む法要のことです。私たちが亡き肉親・知人などのために、善根を積み、その功徳をもって、故人の抜苦与楽・仏道増進に資するのであります。

優婆塞戒経に、

「苦し父喪し已りて、餓鬼中に堕つるに、子為めに追福すれば当に知るべし即ち得」

とあるように、故人の苦しみを救うことができるのは、遺された人たちの追善供養のほかにはないのです。

大聖人は、

「我が父母・地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらはずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬眷属・充満して我が心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給ふらん」(四条金吾殿御書・新編四七〇㌻)

と示されています。自分は何一つ不自由ない豊かな生活をしていながら、親や先祖の法事も営まず、追善供養を怠るならば、故人はどんなに恨みに思うことでしょう、との意です。

また、富木入道や阿仏房の遺子藤九郎は、親の遺骨を頸にかけて、はるばる大聖人のもとへ参り、懇ろな御回向をお願いしています。また、富木入道は母親の三回忌に当たり、身延の大聖人のもとへ御供養を奉り、追善供養をお願いしたことがうかがえます。曾谷入道、千日尼、刑部左衛門尉女房なども同じように、親の十三回忌に追善供養を行っていたことが御書に拝されます。

このように遺族として、心から故人の追善供養を行ったことにつき、

大聖人は、

「其の時過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、娑婆世界に向かっておがませ給ふらん。是こそ実の孝養にては候なれ」(法蓮抄・新編八二〇㌻)

というように、その功徳を称讃されています。

私たちも、恩知らずの不孝者とならないよう、忌日、年忌には、真心をもって追善の仏事を行いたいものです。

もちろん、この追善は、正法によって行うことが肝心であります。いくら志が厚くても、誤った宗教によって修したのでは、かえって故人を苦しめることになってしまうからです。末法の正境である御本尊を中心に営むことによってのみ、初めて正しい追善供養が可能となるのであります。私たちが御本尊に向かって、読経・唱題することにより、御本尊の仏力・法力と私たちの信力・行力の四力が成就し、そこに生じた功徳を故人に回向してこそ、真の追善供養になるのです。

故人が亡くなった日を入れて七日目が初七日忌、さらに数えて七日目毎に二七日忌、三七日忌、四七日忌、五七日忌(三十五日忌)、六七日忌、七七日忌(四十九日忌)となり、この後は百箇日忌、一周忌、三回忌(二年目)と続きます。

この忌日について、現代の我々はどのように考えるべきでしょうか。それは結局これらの忌日が幽界のみに限らず、顕冥の一切の生命の何らかの変化・節度の時期に当たっているのであります。ゆえに、この時を基準として、特に塔婆を建て法事を行うのです。

一般に、初七日忌と七七日忌(又は五七日忌)には、僧侶を迎えるか、あるいは寺院において、法事を営みます。他の七日目ごとには寺院に参詣して、塔婆供養をするのが普通です。また地方により、遺骨は直ちに墓地に埋葬するところと、七七日忌(又は五七日忌)の法要が済んでから、埋葬するところがあります。墓地がなければ、寺院あるいは総本山大納骨堂に納めることもできます。

埋葬や墓標、墓石などを建てる場合には、所属寺院に相談してください。

なお、三回忌の後は七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌などがあります。

自宅で法事を行うときは、早目に寺院の都合を問い合わせた上、申し込みます。法事は、故人の忌日に行いますが、都合のつかない場合は、遅れないように繰り上げて早目に行う方がよいでしょう。また、寺院の本堂で行うこともできますが、この場合も前もって申し込むことが必要です。

自宅で行うときは、仏壇の清掃にも心を配り、仏供と季節の果物や菓子、お酒などを御本尊にお供えし、お霊膳があれば精進料理を作って御本尊に供えます。(本書二三ページ参照)

法要は、献膳、読経、焼香、唱題の順序で行われますから、僧侶の唱導に従い、読経、唱題します。参列者が後ろで雑談をしていることのないよう、慎まなければなりません。

地方の習慣により、異なる点もありますが、大体、以上を基本として行います。その他、不明の点については、寺院に問い合わせて行ってください。

(続 日蓮正宗の行事 84~88ページ)

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